好きな人の話(適当)

風呂に入ってたら悟った。

これまでの経験を振り返ってみて、自分の中で上手くいったと思った時、どのような状態だったのか。
「自分に期待をせず、他人にも期待されていない」
僕の場合はこの状態の時に行ったことは自然と上手くいっているように思えた。
不思議な話である。
だが実際そうなのである。

模試なんて沢山受けてきた。どれもそこそこいい成績をとっていた。けどそれを深く考えたことなんてなかった。いつも、ただ目の前にある問題を解いていただけだった。
だが、前回の模試だけは違った。成績を意識した。もっと上を目指し、「自分なら出来る」と期待しながら解いた。その結果。大幅な成績下落。

自分でもびっくりした。頭痛がした。寝た。

それで今日考えていたのだが、これまでと明らかに違った点。自分に期待した。
いい事のようにも思えるが、僕にとっては毒であった。
もちろん自分に期待することで大幅に成績を伸ばせる人もいるだろう。

悟った。

「万人に共通するような法則は無い。」

数学とか物理とかの法則っていうのは、言い換えれば「この世界で暮らす上の前提条件」なのである。
学校の先生が集会とかホームルームとかで言っていたこと、あるいはSNSに書かれた誰かの一言、それは万人に共通するものではなく、一人一人肌に合うものは違うのである。

誰の肌にでも合うスキンケア用品がないように。
自分が愛している人が他人にとってはそうではないように。

考え方というのも同じで、肌に合うもの、合わないものというのがある。

「ゴールは目指すもの」
この考え方は僕に合わなかった。そんなこと意識しだしたらパニックになってしまった。それがこの間の模試の出来事。

ただただそこにあるものを愚直にする。
自分に出来そうなことを愚直に行う。
僕にとっては「ゴールは近付いてくるもの」
縁があったら、手の届かないようなゴールが自然と、手の届くところまでやってくる。
そんな「糸」のような縁もまた、自然とこちらに近づいてくるものである。
近づける為には、ただ愚直に自分に出来ることを行うだけである。

「なるようになる」
この言葉を否定する人は少なくない。
だが、僕にとってはこれは根幹となるべき考え方だった。
結局、無理して目指そうとか意識しても、あるべき所に治まるのが自然の節理である。

「努力」
この言葉はとても大きいものに見える。
だから僕には到底出来ないと思っていた。
だが、気付いた。
これもただ、そこにあるものをその時自分が出来るだけ、これも愚直に行ったことが、あとからふりかえった時に大きな「努力」と語れるのである。
努力なんて、しようと思ってするものでは無い。

無理に背伸びせず、欲張らず、ただただ今の自分に出来ることを自分のペースでする。
そうすれば、自然とゴールは近付いてくる。縁があれば。

無理に自分に合わない大きな考え方を背負おうとして、結局何もしないことが一番の罪。

他人と比較する必要も無い。自分を評価する必要も無い。評価なんて他人からしかできない。その評価を受け入れるのかも個々の自由である。
自分の肌に合わない、自分が違和感を感じるような評価は無理して受け止める必要なんてない。

ただただ、自分が今出来ることをするだけ。
遠くばかり見ないで、ただ今は自分の手元を見るだけ。
他人を気にせず、自分のペースで。

自分の成功体験を振り返り、過去との乖離、今の理想との乖離に悩まされることは多々ある。
僕なんて特にそう。
だがその距離なんて気にしなくていい。
今自分が出来ることだけ、やっていれば自然と埋まっていく、いやあちら側から近付いてくる。

所詮僕らはとてつもなく壮大な宇宙、あるいはそれより大きい何かの1つにも満たないような存在なのである。

成されるがまま。

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