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マーラー、ウィーン、わたし

1911年5月18日、グスタフ・マーラーはこの世を去った。享年50歳。わたしは来週誕生日を迎えるのだが、まさにその50歳。因縁...っていう程でもないが、いちマーラーファンとして、この偉大な作曲家へのオマージュを書いてみた。

1911年5月18日、グスタフ・マーラーはこの世を去った。

吹奏楽部に入っていて、クラシック音楽が好きだったわたしがマーラーの音楽に惹かれたのは、よくあるパターンだったと思う。

大学生になりアルバイトを始め、金銭的な余裕が出るようになると、オーケストラのコンサートに頻繁に行くようになった。東京圏に住んでいたのでオーケストラのコンサートはよりどりみどり。ちょうどその時期は世紀末ブームとやらでマーラーが大人気だったので、マーラーがメインのコンサートには事欠かなかった。

気が付いたら、大学を卒業するころにはマーラーの全交響曲を生演奏で聴いていた。

年齢を重ねるにつれ、好きな作曲家の範囲も広がり、若いころのようにマーラー一辺倒、とまではいかなくなったが、やはり気になる指揮者がマーラーを振るとなると聴きに行ったし、家でも折に触れてCDを引っ張り出して聴いていた。

3年前、仕事のついでにウィーンを訪れた。国立歌劇場のガイドツアーに参加して、サロンのような部屋に入ると、マーラーのブロンズ像があった。

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マーラーは、今では作曲家として有名だが、当時はどちらかというと指揮者が本業で、この歌劇場の音楽監督を務めていた時期もあった。

別の日には、マーラーのお墓にも行って来た。ウィーンの街から電車に乗って、ぶどう畑が遠望できるような郊外にその墓地はあった。それほど広くない敷地をぶらぶら歩いていると、特徴のある墓石を見つけた。

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生前、「私の墓を訪ねてくれる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」と言ったとかで、宗教色のないシンプルな墓石には、グスタフ・マーラーという名が彫られているだけだった。

ユダヤ人としてボヘミアに生まれ、ウィーンで学び、ドイツ・オーストリアで指揮者として活躍し、最後にはアメリカにまで行ったマーラー。

コスモポリタンといえば聞こえはいいが、どこにも属していない無力感を感じていたのか、自分のアイデンティティを聞かれ、「私はボヘミアンだ」と言ったらしい。

訪れたのは春の暖かい日だったが、マーラーの墓を見てしんとした気持ちになったことを覚えている。

そんなマーラーの楽曲は、それこそ数知れず録音されているが、一枚だけ選べ、と言われれば、ほぼ迷わずにこの録音を挙げる。

マーラーの直弟子でもあった、ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィルの交響曲第9番。
何と1938年の録音、しかも演奏会の実況録音なのでもちろん音は古いが、臨場感があふれまくっている。

この年に、ナチスドイツはオーストリアを併合した。ユダヤ系であるワルターはこの後パリ、そしてアメリカへ亡命を強いられる。
この演奏は1月で、オーストリア併合は4月のことだから、正に間一髪での演奏、録音ということになった。

音楽の聴き方としては邪道なのだが、この演奏会の背景を考えてこの録音を聴くと、なんともいたたまれない気持ちになる。

もし、その場に居合わせたなら、どう思ったのだろう?わたしはそんな妄想にふけってみた…。

運よく、ブルーノ・ワルターが指揮をするウィーン・フィルの切符を手に入れたわたしは、金ぴかの楽友協会ホールに向かっていた。1月のウィーンは厳寒だ。街を歩く人々は、わたしも含めて分厚いコートの前を合わせ、帽子を目深にかぶっている。ナチスドイツの圧力はもう目に見える形をとっていて、忌まわしいハーケンクロイツの旗がウィーンの町のあちこちにひるがえっていた。
わたしの知り合いのユダヤ人たちは、そんなウィーンに見切りをつけて国を去る者もいたが、その脅威を感じつつも、どうしたらいいのか、どこへ逃げたらいいかの見当もつかず、恐れながらもとどまって、いや、とどまらざるを得ない者も多かった。
コンサートホールに入ると、オーケストラはもうそれぞれの席に着き、調音を始めていた。すでに反ユダヤ人感情を表す人も多くなってきたせいか、指揮者のブルーノ・ワルターが舞台袖から登壇すると、ざわざわとした声が拍手に交じって聞こえた。そのような雑然とした雰囲気は、ワルターが指揮棒を構え、演奏が始まってもしばらくは続き、咳払いなどの雑音がなかなか収まらなかった。

第9交響曲は、言うまでもなくマーラー最後の交響曲。切ない、何とも言えない旋律で始まる第一楽章。英語で言うLongingという言葉がぴったりの旋律だ。

オーストリア民謡を思わせる穏やかで、そして時に活発な第2楽章、そして暴力的ともいえる第3楽章と続き、またしてもLongingという言葉がふさわしい最終楽章。マーラーはここではもう、交響曲の決まり事などは関知せず、自分の愛する者に対しての別れの歌を奏でているだけのようだ。

音楽はうねりを持って上下し、最後の絶唱の後は切れ切れの旋律がつづく。

…そして何かを問いかけるような最後の音。あたかも人が息を引き取るかの如く。

ワルターは、まだ指揮棒を中空に上げている。オーケストラの団員は指揮者を見つめている。聴衆も今は息を詰めて見守っている。

ゆっくり、指揮者が指揮棒を下ろし、譜面台に置く。

…これがブルーノ・ワルターが戦前にウィーンフィルを指揮した最後の演奏になった。

4月のオーストリア併合を受けたわたしは、思い起こす。

また、マーラーを聴くことはできるのだろうか?



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