桜の咲き誇るカウラを再訪
オーストラリアの春、更にいえば桜の花を探しに、片道400キロの旅をしてきました。
カウラの町を、4年ぶりに訪れた。
この一見何の変哲もない田舎町を訪れるのは、これで3回目だ。なぜ私が観光地でもない町にたびたび訪れているかというと、カウラと日本には因縁があるからだ。
最初の縁は、全くの負の遺産と言っていい。
「カウラ事件(Cowra Breakout)」という、第二次世界大戦中最大の捕虜脱走事件が起きた場所だ。
その事件自体は悲劇、徒労以外の何物でもないが、幸いにして心ある人達の努力により、この街と日本は交流を深め、その結実のひとつが、オーストラリア随一の日本庭園だ。
この日本庭園は回遊式の本格的な設計で、いつ行っても素晴らしいのだが、桜の咲く頃が素晴らしいというのは想像に難くない。
こんな嫌なことばかりの年だし、幸か不幸か仕事は休職扱いなので自由時間はたんとある。美しいものを見て、ささくれだった気持ちを癒そう、という欲求が高まり、日本人の友人を誘って旅行にでかけた。
とにかく、今回は桜を見るのが最大の目的だ。間違いなく桜を見られるような日を選び、念を入れてカウラの観光案内所や日本庭園にメールをし、「桜咲きそうですか?」という難問を投げかける。
相手もこういう質問は困るだろうが、カウラには様々な種類の桜があるので、間違いなくいずれかの桜を見ることはできるという返事をもらい、一安心した。
そして、9月の半ばにレンタカーでシドニーの街を出た。幸い、春先にしては暖かすぎるほどの陽気で、快晴。緩くカーブやアップダウンのあるハイウェイを、快調に飛ばす。
さえぎるものがないので、空が本当に広く感じる。青い空にぽつぽつと漂う雲たち。同行者が、
「飛び込みたくなるような空だね!」と言った。
と、丘の一面が鮮やかな黄色に染め上げられているのが見えた。
菜の花畑だ。
さすがオーストラリア、規模が違う。見渡す限り、「いちめんのなのはな」が広がっている。
車を脇に停め、外に出てみた。
いきなり、ほの甘い香りに全身を包まれた。あ、菜の花ってこんな香りなんだ。
黄色い菜の花畑と、あれは麦畑だろうか、こちらは爽やかな緑の畑が交互に連なる風景。
心も緑と黄色に染め上げられていくようだった。
もう少し車を走らせると、徐々に家が増えてきて、カウラの町に入った。信号機が2つ3つしかないような町だ。
捕虜収容所跡地に向かった。いまではもちろんフェンスなどは取り払われ、春の草が生い茂った原っぱだ。
いくつかの掲示板やモニュメントがあった。昔のフェンス跡に沿って半周してみた。当時の捕虜やそこを守っていたオーストラリア兵の気持ちを想像しながら…
そこから少し離れた場所に、日本人戦没者を祀る墓地がある。
この敷地内とすぐ外では、桜の木、そしてりんごの花(だと思う)が満開で、きれいに刈られた緑の芝生に花びらがハラハラと散っていた。
その日の夕焼け、満天の星空、翌朝の神々しいまでの朝焼け…。すべてがマジカルだった。
翌日、開園時間の9時を見計らって日本庭園に向かった。
いきなり、桜の並木に迎えられた。
晴れてはいるが、そよ風も吹いていたので花びらがひらひらと舞っていた。
カウラに植樹された桜の木はまだ50年ほどなので、日本の桜並木のように樹齢何百年、といった仰ぎ見るような高さの木はない。
かえってそのおかげで桜の花がちょうど目の高さほどの位置で咲いている。
強い日差しに照らされた桜の花びらは、どこまでも白く、目に鮮やかだった。
小高い所に登ると、日本庭園の全景とその向こうにあるオーストラリアの広大な景色が見えた。日本と、オーストラリアの風景。そのコントラストがちょっと不思議な、それでもある種の調和を見せた借景となっていた。
池では、鴨とその子どもたちが集まり、家族会議をしていた。
日本庭園の中では、時間がゆっくり流れている。私たちは庭園の中を流れる水のように、その流れに身を浸し、気の向くままに足を運び、ただただ流されていけばいい。
今度カウラを訪れるのはいつになるだろう?既にこの町は私とオーストラリアをつなぐ心の中に張った根っこのようなものになっている。
また何か心境の変化があったときにここを訪れるのかな、と思いながら日本庭園を後にした。
(終わり)
こんなのも書いてます…