草取りと唯識と押忍
梅雨明けと同時に猛暑。
ネギ畑に這いつくばって草取りをしている。
この辺は海風が吹くとは言え、背中に刺さる太陽光線はジリジリとヤバい。
この畑は直線距離にして2000mのネギ畝。株元は機械では取れないのでコツコツ手で取る。あと何メートル、あと何畝などと考えていると心が折れる。先など考えず、パッパと目の前の草をただ取るのが精神衛生上、一番良い。
苦とか楽とか、自身が作り出したものである。
古代インド哲学、唯識と呼ばれる考えだそうだ。
映画「マトリックス」でもそんな一節を見られた。主人公ネオは修行の末、目の前にあるものは全て自分でコントロールできるようになり、ディストピアの未来世界で救世主となる。
流派によって異なるのだろうが、僕が習っている空手は何事にも押忍。押忍とは「押し忍ぶ」、英訳すればbe patient なのだが、根元的には唯識の哲学ではないかと思っている。強い相手と対峙した時の恐怖、もう無理ってほど上がらない腕立て伏せ、そんなときは押忍なのだ。それは自分が作り出した恐怖や限界で、その世界はコントロール可能なのだ、押忍。と言い聞かせる。
玄奘三蔵が、たった一人でタクラマカン砂漠を渡ったときも、念仏を唱えて、この暑さと渇きを乗り越えた。これも唯識の哲学だ。
残り数十メートル。三蔵法師にあやかって残りの畝もサクサクと行きたい。なのだが、今日の暑さは一段と激しい。今日は唯識を忘れてかき氷を食べに行こう🍧押忍
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