リンゴジュース

 そういえば、最近、リンゴジュースを飲んでいないなと気づいた。最後に飲んだのはいつ以来であろうか。記憶が確かであれば、それはちょうど1年前、浪人時代の時である。
 あの時は、本当に変わり映えのしない日々を送っていた。夜が明け、朝になると、予備校へ向かい勉強。再び暗くなったかと思えば、帰宅し、就寝。発狂しなかったのは奇跡と言ってよい。息をつく暇といえば、昼食と夕食くらいであった。我々に残された決して長くはない安息の時間。この時間くらいは、非日常を体験したい。そう思うのは疲弊した浪人生にとって普通の思考である。いつもとは違った飲み物。
 昼食休み、自販機の前に立つと、人を馬鹿にしたように、ボタンのLEDが光っている。そいつを左から順番に1段、2段と見ていく。コーヒーやコーラ、エナジードリンクなどは大体飲んでいた。悩みながらも、3段目。最後の段を順に見ていくと、一番右に、玉座に腰をかける神の如く、それは鎮座していた。それは、いたって日常的な清涼飲料水。しかし、それ故に数多の人類の眼球の節穴となっている命の水。

Qooのリンゴジュース。

アダムとイブの禁断の果実も、リンゴであった(諸説はあるらしいが)。つまりこれは、始まりにして、禁忌の液体。私はその非日常感に胸が高まっていた。退屈な日常から解放され、大空へと羽ばたくことができるやもしれぬ。喉をゴクリと唸らせ、自販機にお金を入れると、リンゴジュースのボタンを押した。出てきたそれは、120円の小さなペットボトル。しかし、中身は黄金のようにすら見える。キャップを投げ捨てると、私はそれを一気に仰いだ。舌を通り、喉を通り、胃へと向かうその液体の冷たさを全身で感じた。
 それは、小学生のあの時、リンゴジュースを買い渋る親と、激戦の末に勝ち取った勝利の味。いや、違う。それは、甘くて、少し酸っぱくて、まるで、1年前の青春時代の味。いや、それも少し違う。これは、体育の後、好きなあの子が、喉を鳴らせて飲んでいた、恋の味。そのときの汗と結露と陽光の乱反射が私の眼球を刺したのだった。あぁ早く浪人辞めたい!クソクソくそっ!!いろんな思いがリンゴジュースと共に喉元を通り過ぎる。私は、俯き、一言、こぼした。

「あぁ、こんなもんか」

浪人生とはこんなものである。きっとアダムとイブも、禁断の果実を食べたあと、そう思ったに違いない。食べる前の胸の高まりなぞ一瞬に過ぎず、堕ちれば、呪われた存在となり現世を彷徨う。まるっきり、浪人生と同じではないか!青春なんぞ一瞬にすぎず、落ちれば呪われた存在となり受験を彷徨う。あぁ、諸行無常。一切皆苦。四苦八苦。南無阿弥陀仏。倫理の講義の、覚えたての言葉が頭をぐるぐると回っていた。

「まぁ、こんなもんよな。勉強しなきゃ。」

そう思い、猫背の浪人生は昼食をとっていた。

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