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始まり


愛媛県東温市で津軽三味線教室「絢の会」を主宰しています片山慈(かたやまめぐみ)です。
三味線を弾き始めてから来年で20年。
専業主婦だった私が、三味線を始めたきっかけのお話です。



今から30年も前。
確かNHKだった思うけれど、初代高橋竹山のドキュメンタリーが放送された。

今ではその時の内容をあまり覚えていないけれど、暗い背景に一人、太棹を構えて奏でる三味線の音色に耳を奪われテレビ画面に釘付けになり、そのあとはもう、とにかく泣けてしょうがなかったことだけは鮮明に記憶に残っている。

いつか私も弾いてみたい…と漠然と思ったと思う。
その時は子育て真っ最中で、専業主婦ではあったけれど、子供を育てること、社会に送り出すことが私の仕事だと一途に思って日々を過ごしていた。

和太鼓との出会い

それから何年経ったか。
次女が小学5年生の時に、放課後和太鼓教室が開講した。
和太鼓の音も大好きだった私は、ソッコー娘をその和太鼓教室に送り込み笑、見学と称してまだ3歳だった末っ子を連れて週に3度のその教室に休まず通っていた。

半年くらい経った時には和太鼓の大人のチームもでき、もちろん私はそのメンバーの一人になった。
和太鼓を教えに来られていた先生に「津軽三味線も弾いてみたいのだ」と伝えると「松山にいる三味線の先生、知ってるよ」との思ってもみなかった返事。

近々ある「おさらい会」(近頃は、おさらい会と言っても理解されない^^;)のご案内をいただき、喜び勇んでその日を迎えた。
当日配られたプログラムには「津軽三味線体験教室」の文字。
翌日、はやる気持ちを抑えて体験を申し込み、その日のうちに入会を決定。

はじめての音

入会したその日に、とりあえず撥だけを購入して楽器は細棹をお借りした。
ハードケースに入っていたのか長袋に入っているだけだったのか、なんの記憶もないけれど、大事に大事に我が家に持ち帰り、緊張の面持ちで三味線を畳の上に取り出してみた。

ドキドキしながら駒をつけ、調弦が合っているのかいないのか、、、畳の上に可愛らしく横になっている三味線の、その一の糸を親指ではじいてみた。

誰もいない部屋に広がる弦(いと)の音。

今まで…つい今朝まで、どこにでもある家庭の喧騒しか存在しなかったその部屋に、ぎこちないながらも細くなる弦の音。

何もかもが清められたような、浄化されていくような感覚に感動で打ち震え、胸がいっぱいになった。

「私、三味線を弾いている!」

それからはもう夢中で弾きまくる日々。
自分の三味線も夫に借金をして購入し、寝食も忘れ、子供を幼稚園に迎えに行くのも忘れがちになりながらずっと三味線を触っていた。

とにかく楽しかった!
面白かった!

撥の持ち方なんて、想像もしていなかった難しさだったけど、力を入れすぎて小指の関節から血が出ているのが嬉しいくらいで…家族からは呆れられていたけれど😅

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