週刊しゃまお25

今回は MBTIとか

前回はコチラ


▼MBTIとか

ひよこサンは数ヶ月前から”シャドウ”の領域を広めようとしていましたが、うまくいかなったようで。
当然というべきか、自分もあまり興味を持てず。


しかし、ここ最近はアプローチを変えてきて「おっ!?」と思える投稿内容が多くゾクゾクします。

特に”MBTI”の領域だけでは説明や考察が足りない領域を、”シャドウ”を用いて「かゆいところに手がとどいている!」と歓喜できる内容が最近は多く、少し監視せねばとソワソワしていたりする。

自分としては「欲しかった未知の代入式が舞い降りてくる」ような感覚。
少しツイートを紹介したい。

興味深い情報をツイートしてくれたヒヨコさんの応援も兼ねて紹介したい。

145は、自分のトライタイプ154に属するトライタイプグループです。
※145、154
※415、451
※514、541 も含む

そうです、そうです(ワクワク

ガッツセンターに属するのは891です。
ハートセンターに属するのは234です。
ヘッドセンターに属するのは567です。
自分は154です。

ガッツセンター1に関しては
・全く持ってその通り
・鈍感すぎてすぐには怒りが湧かず、後々になって永久に怒りが湧き上がる
・正当性をすぐに立証できないできないので怒らない/怒れない
・正当性を発言できない 怒れない/発言を諦める(身体的ドモリ
・怒りが湧いた後、どう考えるべきか永遠に彷徨っている
・それ以上のストレスを回避しようとするので怒らない(1w9の9影響
・極稀に爆発する

ハートセンター4に関しては
・恥をかくことがとても怖かった
・今でも恥をかくのが怖い
・ただし、今となっては恥をかいても仕方ないと考えている
・恥は捨てたハズ すこし残ってる でも恥ない 胸張ってる
・私はこうありたい こう居続けたい
・ならばバランスを取ろう しかし、自分を捨てない。私は私。俺は俺。
・俺で生きていかにゃならんのよ 恥、ある程度歓迎

ハートセンター5に関しては
・見透かされると意外にビックリして焦った経験が最近あった
・見透かされた後何か言おうとしたが、少し考えて洞察された事を認めた
・間違った洞察をされると、それはそれで・・・(少しガッカリ
・不安は全て己の能力不足と経験不足が原因である。不安はあって当然

現在のそれぞれの状況と健全度はこんなかんじです。
可もなく不可もなく・・・。


説教に”裁く”が入っていて物凄い親近感が湧いた。

そう。怒るでも詰めるでもない。”裁く”なのだ。

おれも裁かれた。だから裁いた。
良くないね。自分が愉悦に浸れるだけだ。

怒るってなんなのよ
詰めるってなんなのよ
裁くってなんなのよ

怒って、詰めて、裁いて、それで何になるんだ
俺の怒りが解消された所で一体何が残るんだ

俺が口論や裁く事で自尊心が増大する?
ある程度の自尊心は必要だろうよ
でも醜い自尊心は嫌だね

引きこもりの身としては、これでも多くの人と出会えたと思う
だから捌くのではなく、怒るのでもなく、詰めるのでもなく
”述べてみる”という実験に足を突っ込んでみた

トラブルはより増えるだろう
だが、自分の言葉が真実に近づくなら
それは彷徨うこと無く一瞬でケリが付くだろう

怒ることが必要な時も来るだろう
詰めることが必要な時も来るだろう
裁くことが必要な時も来るだろう

一体、いつそれらを正しく扱えるようになるのか
正しく扱えたとして、それは操作の一環として褒められるべきモノだろうか

否、人はそうやって生きてきた
操作する者も操作される者もそうやって生きてきた

変わらねえ部分
譲れねえ部分
そこが一番大事じゃねえのか

それが分かっていればきっと大丈夫な気がする

・・・ただ、自分で自分を裁いただけだった
その手法を代行しているだけにすぎない

自分で自分を裁いていない人間に怒りを覚える
自分で自分を裁かないから、いつか納得のいかない裁きを受ける

近代的には社会の摂理が
古代的には自然の摂理が
巡り巡って相応しい者へと来る


~~

毒は毒たれ、甘くて美味しい良薬を求む。

イントロだけはめっちゃイイ感じ
その後のAメロとBメロが雰囲気作るのテラフレア難しい

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