「慧可断臂」「達磨安心」の公案

『無門関』四十一則「達磨安心」から。

達磨面壁、二祖立雪。
斷臂云、弟子心未安、乞師安心。
磨云、將心來爲汝安。
祖云、覓心了不可得。
磨云、爲汝安心竟。

達磨大師が壁に向かって座禅をしていると、のちに二祖となる慧可が雪の中に立った。肘から先を切って言うには「弟子(それがし)の心は未だ安寧を得ておりません。師に安心の方法をお教えいただきたい」
達磨「心を持ってきなさい。そなたのために安らかにしよう」
慧可「心を見つけることなど不可能です」
達磨「そなたのために心を安らかにしてやったぞ」

慧可断臂というと、達磨大師の弟子になりたい慧可が至誠を示すために腕を切ってさし出したという解釈が一般的です。

さて、そんなに気性の荒い変人(狂人)が来たら弟子としてとるでしょうか。慧可断臂の話を最初に聞いたときの疑問はそれでした。あまりにもヤバいヤツなのでそばに置いて手綱を握っていたのかとも思ったのですが、実際は全然違いました。

『続高僧伝』巻16を見てみましょう。

遭賊斫臂。以法御心不覺痛苦。火燒斫處血斷帛裹乞食如故。曾不告人。

(慧可は)賊にあって臂を切られた。法をもって心を御し、痛苦を覚えなかった。切断面を焼いて止血し、裂いた布に包んで乞食を続けた。そして、誰にもその事は話さなかった。

……何か話が違いますね。このあと、ライバルの林法師も肘を切られて一晩中泣きわめいたという話がつづきます。

要するに、当時、肘を切る強盗がいて、そのせいで肘から先を切り落とされたということのようです。そこで、不安ですと師の達磨に相談したところ、「心を持ってきなさい」と予想外のことを言われた。そこで気が「心を持ってくる」ということに向かい、元の不安かどこかに行ってしまった。達磨大師は「そなたのために心を安らかにしてやったぞ」と言った、という事のようです。


一休さんのとんち話に、殿様に「屏風の虎をつかまえよ」と言われて「まずは虎を追い出してください」と言った話があります。その元になった話なんじゃないかと思います。



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