四苦(生老病死)と差別

 自分の意思ではどうしようもない事柄についての四苦についてはすでに述べたとおりです。これらは差別に直結する問題です。

●生れによる差別
 日本では長年の努力によって解消されてきた差別問題。生れ、血筋、地域による差別は、何かの時に噴出します。困ったことに、お寺の跡継ぎ問題でも仄聞するところです。
 お釈迦さん自身はクシャトリアという武家の階級の出身でした。バラモンが聖職者です。仏教の開祖が在家出身なわけです。
 釈尊いわく「生れによってバラモンとなるのではない。行いによってバラモンとなるのだ」と。『スッタニパータ』の有名な言葉です。

●老いによる差別
 いつの世も、老人はいやがられるものです。頑固やわがままを症状とする「老害」というだけでなく、動きが遅く記憶も間違い言うこともぶれてしまう、それが老人というものです。お寺の世界では、老いた師僧の面倒は弟子がするというのが大原則です。しかし、実際にはそう出来た弟子ばかりではありません。師僧を老人介護施設に放り込んだまま見舞いにも来ない、という話も聞きます。いえ、初期仏教の頃はもっとシビアでした。托鉢に出られない僧には食事は行き渡りません。一族の支援がないと、洞窟で老いて死ぬのを待つばかりでした。

●病による差別
 病気には、伝染性の物と非伝染性の物があります。
 肺結核などの伝染性の病気について隔離措置がなされたのは仕方のないことでしょう。
 しかし、非伝染性の物についても伝染性があると思われ、隔離された場合がありました。

 奈良市内には「北山十八間戸」という建物があります。
 鎌倉時代、西大寺の忍性によって作られたハンセン病患者を収容した福祉施設です。大正10年3月3日に、国の史跡に指定されました。今は修復されてきれいになっていますが、それまではぼろぼろだったと言います。
 これは、差別なのか福祉なのか。今の「ハンセン病の原因であるライ菌の感染力はとても低い」という知識をもって判断すべきではないでしょう。患者たちは北山十八間戸を拠点に、乞食に出ることを許されていました。
 ハンセン病は、鼻が欠けたり顔が変形するといった見た目の悲惨さから、長らく「業病(=前世の報い)」とされてきました。国立ハンセン病療養所が離島に設けられ、強制隔離されていた歴史については、ご存じの方も多いと思います。

●死
 神道では「死穢」を嫌い、家族に死者が出たら一定期間神事に参加できないといった定めがあります。最近は少なくなりましたが、お葬式の参列者に「きよめ塩」をくばり、門の外で塩を肩越しに撒く、あるいは外玄関に撒いて踏んで通るという風習があります。
 また、葬儀の後に思わず手を洗ってしまったという方も少なくないでしょう。大好きな親族に対してすらそうなのです。
 我々の心には、死を忌む心は深く染みついているのです。

 道端に行きだおれている人や動物を見た時、我々は慰霊の気持ちよりも先に嫌悪感を抱きます。一方で、スーパーのお肉コーナーでは何も思わずに買い物をしています。
 死にかかわる職業への差別も、根強くあります。昔は飲食店では「ボウズになる(もう毛がない=儲けがない)」と言って僧侶は嫌われたものです。この感覚は中国でもあります。その裏には、死穢への嫌悪感があったと思います。

 『無常経』で言うように、老病死は「世間ではまったく愛されることなく、まったく輝くことなく、まったく思うこともできず、まったく意にそまないとされ」ます。その最たる物が「死」なのです。

 以上見てきた通り、生老病死の四苦は差別の元となってきました。



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