輪廻転生と生死流転

 最近はライトノベルやアニメで、死んだ後に別世界に行く転生物が流行っています。現代の日本人は輪廻転生を信じていない(※信じていたら、恐ろしくて殺生は出来ないですよね)割には、概念としての輪廻転生は常識となっています。
 仏教の死後観にもいろいろあって、死んですぐ次の輪廻に入る『阿毘達磨(アビダルマ)』の説、四十九日を経て輪廻する中有説、日本独自の「あの世」にずっといて家族を見守りお盆には帰ってくる説、などがあります。
 が、いずれにしても死後に別世界に生れかわることは大前提です。

 凡夫の魂は、六道輪廻を繰り返していると言われています。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天(神々)の六つの世界です。昔は阿修羅をのぞいた五道輪廻が言われていました。
 この輪廻の輪から脱出することを「解脱」と言う、と従来は言われていました。

 本来の「解脱」とは、「逃れると」「脱出すること」を言います。初期の仏典では「煩悩から解き放たれる」ことを解脱と呼んで、この世において得られるものとされています。そして、永遠の平安(涅槃)が得られるとしたら、それは灰身滅智、即ち死です。

『阿毘達磨』には、人は「路」という心の生成から消滅を17刹那※ごとに繰り返すとあります。人は一日の意識ある間に25万回の輪廻転生をしているわけです。解脱とはこの心の六道輪廻から出るすべを身につけることなのです。

※刹那とは、きわめて短い瞬間を言います。指パッチンの間に65刹那あって、1刹那=1/75秒くらいです。

 刹那滅を繰り返す心は、生きながらにして六道を輪廻し続けます。輪廻というと輪廻転生を思い浮かべるので、生死流転と言い換えた方がいいかもしれません。仏典ではよく「生死」という言葉を「人生」の意味で使っています。

 昔、母が入院して手術を受けたことがありました。
 何時間もかかる手術で、手術室前のロビーで一人、手術がおわるのを待ち続けていました。心の中は不安でいっぱいです。これが地獄道です。
 やがて、猛烈な空腹感を自覚しました。昨日から何も食べていなかったのです。すると、頭の中は飢餓感でいっぱい、病院の食堂と向かいます。これが餓鬼道です。
 さほどおいしくもなく量も少ないチャーハンを食べ終えて、飢餓感はなくなりました。病院の食堂なので、美人の看護婦さん(当時の言い方です)が食事をしていたりします。目はすっかり釘付けで、なんとかお近づきになれたらなあ、お持ち帰りしたいなあ、などと考えます。これが畜生道です。
 いや、そろそろロビーに戻らないといけないな、と思い、レジに向かいます。財布を取り出して支払いをすませます。これが人道です。
 近道をして中庭に出ます。気候もよく、美しく手入れされた花壇があり、蝶が舞い子猫たちが遊んでいました。心はほがらかに、とても幸せな気分になります。これが天道です。
 そしてまたロビーに戻ります。すると、携帯で電話をしている人がいました。壁には「ここで携帯を使用しないでください。手術室の機器に影響が出ることがあります」との掲示があるのにもかかわらず、です。猛然と怒りが湧き、「ここで電話を使ってはいかん。中では手術をしているんだぞ」と怒りました。その人は頭を下げつつ逃げていきました。これが修羅道です。
 バカタレを追い払って、ロビーの椅子に坐ります。するとまた、最初の不安感がどっとのしかかってきました。悶々と苦しみます。また地獄道です。

 私はこの時、六道輪廻(生死流転)をしていました。
 生死流転が一日の間に25万回もあるとは思いませんが、何百回~何千回はあるんじゃないでしょうか。

 このように人は一日の間に何度も六道輪廻(生死流転)をしているのです。

 


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