温泉林天経

中阿含経の巻第四十三
 東晋で罽賓(けいひん/かつて北インドのカシミールかガンダーラ地方にあったとされる国)出身の三蔵法師であるゴータマ・サンガデーバが訳す
 
 根本分別品・温泉林天経の第四
 第四分別誦

 このように聞いた。
 仏が王舎城に遊行し、竹林カランダカニヴァーパ園にいたとき。
 尊者サミッティもまた王舎城に遊行し、温泉林に住んでいた。
 尊者サミッティは夜から日の出の間に宿房を出て温泉に入っていた。衣を脱いで岸にかけ、温泉浴をしていたのである。
 入浴を終えると体を拭いて衣を着る。
 一人の天がいて、姿形は素晴しく、見上げるような偉容で、夜から日の出まで尊者サミッティの所をおとずれ、頭をたれて礼をしては一面にしりぞいてひかえていた。天の姿は威厳があり、妙なる光であたりを照らしていた。天は温泉の岸に控えると尊者サミッティに言った。
「比丘はバッデーカラッタ(跋地羅帝)の偈をご存じですか」
サミッティ「その偈は知りません。あなたはその偈を受持しているのですか」
天「私も知らないのです」
サミッティ「誰がその偈を受持しているのです」
天「世尊がこの王舎城の竹林園に来ておられます。彼が受持しています。比丘よ、世尊の所に行ってお会いし、教えていただきなさい。なぜかと言うと、バッデーカラッタの偈には法があり義があり梵行の本となるからです。智と覚を越えて涅槃におもむき、一族皆が信じて家を捨て、道を学ばざる家がなくなります。バッデーカラッタの偈をよく受持し誦えていれば」
 天はこう説くと尊者サミッティの足に額をつけて周囲を三回周り、姿を消した。
 尊者サミッティはしばらくして仏の所に行き、頭をたれて礼をして一面にしりぞきひかえて言った。
「世尊、かくかくしかじかのことがありました」
世尊「サミッティよ、その天がどこから来て何という名か知っているのか」
サミッティ「知りません」
世尊「サミッティよ。かの天の名は正殿である。三十三天の将軍なのだ」
サミッティ「世尊よ、よく彼岸に行きし者よ、今が正にその時です。世尊が比丘たちのためにバッデーカラッタの偈を説けば、比丘たちは世尊から聞きよく受持するでしょう」
世尊「サミッティよ。よく聴きよく思うのです。そなたのために説こう」
サミッティ「おねがいします」
 この時、比丘たちも仏の教えを聴いた。


慎莫念過去 亦勿願未来
(慎んで過去を思うなかれ また未来を願うなかれ)
過去事已滅 未来復未至
(過去のことはすでに滅んだ 未来はいまだ至っていない)
現在所有法 彼亦当為思
(現在にあることについて そのことのみを思うべきだ)
念無有堅強 慧者覚如是
(変化しないものなどないと思うのだ 智慧ある者はこのようにさとる)
若作聖人行 孰知愁於死
(もし聖人の行をなせば 誰が死を愁えよう)
我要不会彼 大苦災患終
(死に会わなければ 大いなる苦しみと災いの患いはなくなる)
如是行精勤 昼夜無懈怠
(かくのごとく思い精勤し 昼夜怠らないようにせよ)
是故常当説 跋地羅帝偈
(だからいつも説くべきなのだ バッデーカラッタの偈を)

 仏はこう説き座よりたち、宴の部屋に入って坐った。
 比丘たちは思った。〈賢者たちなら知っているだろう。世尊がざっと説いたこの教えは、おおまかだ〉
 そこで座よりたち、宴の部屋に入って坐った。


慎んで過去を思うなかれ また未来を願うなかれ
過去のことはすでに滅んだ 未来はいまだ至っていない
現在にあることについて そのことのみを思うべきだ
変化しないものなどないと思うのだ 智慧ある者はこのようにさとる
もし聖人の行をなせば 誰が死を愁えよう
死に会わなければ 大いなる苦しみと災いの患いはなくなる
かくのごとく思い精勤し 昼夜怠らないようにせよ
だからいつも説くべきなのだ バッデーカラッタの偈を

 比丘たちはまた思った。〈諸賢たちの誰が、世尊の言いたいことを細かく説けるだろう。そうだ、世尊はいつも尊者である大迦旃延(マハーカッチャーナ)のことを誉めている。智慧あって梵行の人と。尊者マハーカッチャーナなら細かく教えてくれるのではないか〉
 そこで皆は尊者マハーカッチャーナにその意義を説いてほしいとお願いした。
「もし、尊者マハーカッチャーナが詳しく説いて下さるのなら、我等はよく受持できるでしょう」
 比丘たちは尊者マハーカッチャーナの居所でともに一面にしりぞいて坐り、たずねた。
「尊者マハーカッチャーナよ。世尊はこの教えをおおまかに説かれただけで座より起ち宴の部屋に入って坐られました。


慎んで過去を思うなかれ また未来を願うなかれ
過去のことはすでに滅んだ 未来はいまだ至っていない
現在にあることについて そのことのみを思うべきだ
変化しないものなどないと思うのだ 智慧ある者はこのようにさとる
もし聖人の行をなせば 誰が死を愁えよう
死に会わなければ 大いなる苦しみと災いの患いはなくなる
かくのごとく思い精勤し 昼夜怠らないようにせよ
だからいつも説くべきなのだ バッデーカラッタの偈を

 我等は諸賢の中で誰が詳しく世尊がおおまかに説かれた義を詳しく説けるのかと考え、尊者マハーカッチャーナがいつも世尊が賞賛される方なので説けるであろうと思いまいりました。願わくば尊者マハーカッチャーナよ、あわれみもて詳しく説きたまえ」
マハーカッチャーナ「賢者たちよ、我が喩えを聞きなさい。智慧ある者が喩えを聞けば、すぐにその意味はわかる。

 賢者たちよ、木の実を手に入れたいと願う人間が斧を手に林に入ったとしよう。 彼は大樹の、根、茎、節、枝、葉、花、実を見る。彼は、根、茎、節、実には触れない。 ただ枝と葉に触れるのだ。

※果実を触りまくると傷むから直接触らないのでしょう。

 諸賢たちの言っている言葉もそうだ。世尊が今、私のところに来て、この意味を問うているのだ。なぜか。諸賢よ、まさに知るべし。世尊は眼であり、智慧であり、意味であり、法である。法の主、法の将軍である。真諦を説き、あらゆる意味はかの世尊よりあらわれる。諸賢よ、世尊の所におもむき、この偈の意味を問うのだ。世尊はかくかくしかじかと教えて下さるだろう。世尊のおおせのままに 諸賢はよく受持すべきなのだ」
 比丘たちは言った。
「尊者マハーカッチャーナよ、まことにそうです。世尊は眼で智慧で意味で法です。法の主で法の将軍です。真諦を説き、あらゆる意味はかの世尊よりあらわれます。我等は世尊の所におもむき、この意味を問います。かくかくしかじかとおおせあれば、世尊のおおせのままによく受持いたします。
 しかして、尊者マハーカッチャーナはいつも世尊に賞賛され、諸智・梵行の人です。
尊者マハーカッチャーナならば世尊がおおまかに話されたことを詳しく説けるでしょう。願わくば尊者マハーカッチャーナよ、慈悲とあわれみもて皆に説きたまえ」
マハーカッチャーナ「諸賢ら、ともに聴きなさい。諸賢よ、比丘が過去を思うとはどのようなことか。

諸賢よ。比丘の現実の眼は目に見えるものを見て喜びの念を抱く。愛着と欲する心が相応する。触ることを楽しみ触れる。しかしその本来は過去にあるのだ。彼は過去に識ったものを欲し執着に染まる。識によって執着に染まると、彼は楽しむ。つまり、彼は過去を思って執着しているのだ。同じ事が耳鼻舌身についても言える。
 諸賢よ、このようにして比丘は過去を思うのだ。

※マハーカッチャーナは、五蘊の「色・受・想・行・識」の仕組から「過去を思う」を解説します。

 諸賢よ。比丘が過去を思わないとはどういうことか。諸賢よ。比丘の現実の眼は目に見えるものを見て喜びの念を抱く。
 愛着と欲する心が相応する。触ることを楽しみ触れる。しかしその本来は過去にあるのだ。
 彼は、過去の識は執着に染まってはいないとする。識が執着に染まろうとしないから、彼は楽しまない。
 彼が楽しまないから過去を思わない。同じ事が耳鼻舌身についても言える。
 諸賢よ。このように比丘は過去を思わないのだ。

 諸賢よ。比丘が未来を願うとはどういうことか。諸賢よ。比丘の現実の眼と眼識にとって未来は彼がいまだ得ていないことである。得たいと欲し、得られることを心に願う。だから心願がかなえば彼は楽しむ。楽しみがあるから彼は未来を願うのだ。
 同じ事が耳鼻舌身についても言える。
 もし法を思い識を思うなら、未来は未だ得ずして欲するものとわかる。得ていれば心願もかなっているのだから。
 心願がすでにかなっているから彼は楽しむのだ。楽しんでいるとき彼はすでに未来を願い終えているのだ。
 諸賢よ、このような比丘が未来を願う者だ。

 諸賢よ、未来を願わない比丘とは何か。諸賢よ、比丘の現実の眼と眼識にとって未来はいまだ得ていないものだから、
 得たいとはのぞまないし、すでに得ていてたら心は願わない。心が願わないからすでに得たとしても楽しまない。
 よって楽しまない彼は、すでに未来を願っていない。同じ事が耳鼻舌身についても言える。もし法を思い識を思うなら、未来はいまだ得ていないもので得たいとはのぞまない。すでに得ていれば心は願わない。
  よって心が願わないので彼は楽しまない。楽しまないから未来を願わない。
 諸賢よ、このような比丘が未来を願わない者だ。

 諸賢よ。現在を思う比丘とは何か。諸賢よ。比丘の現実の眼と眼識にとって現在とは、彼の識が執着に染まろうとしている現在だ。
 識が執着に染まっていれば彼は楽しむ。彼はすでになされた現在をうけて楽しむからだ。同じ事が耳鼻舌身についても言える。もし法を思い識を思うなら、彼は現在、識によって執着に染まっている。識が執着に染まったから彼は楽しむのだ。楽しんでいるから現在を思っているのだ。
 諸賢よ。このような比丘が現在を思う者だ。

※マハーカッチャーナの解説は、唯識やアビダルマの、緻密を求めるがゆえの煩雑さを思わせます。

 諸賢よ。現在を思わない比丘とは何か。諸賢よ。比丘の現実の眼と眼識にとって現在とは、識が執着に染まろうとしていない現在だ。
 識が執着に染まっていないから彼は楽しまない。彼が楽しまないから彼は現在を思っていない。同じ事が耳鼻舌身についても言える。
 もし法を思い識を思うなら、彼は現在、識が執着に染まっていない。識が執着に染まっていないから彼は楽しまない。彼が楽しまないから、現在を思ってはいない。諸賢よ、このような比丘が現在を思わない比丘だ。

 諸賢よ。世尊はおおまかに説かれた。この教えは細かく説かれてはいない」
 そして座より起ち、宴の部屋に入って坐った。


慎んで過去を思うなかれ また未来を願うなかれ
過去のことはすでに滅んだ 未来はいまだ至っていない
現在にあることについて そのことのみを思うべきだ
変化しないものなどないと思うのだ 智慧ある者はこのようにさとる
もし聖人の行をなせば 誰が死を愁えよう
死に会わなければ 大いなる苦しみと災いの患いはなくなる
かくのごとく思い精勤し 昼夜怠らないようにせよ
だからいつも説くべきなのだ バッデーカラッタの偈を

「この世尊のおおまかな教えについて、私はこのように詳しく説いた。諸賢よ。仏のところに行き、このように意義を言われたとつぶさに述べるのだ。
諸賢らはともに受持しなさい」
 比丘たちは尊者マハーカッチャーナの説いたことをうけ、よく受持し誦えた。そして座より起ち、尊者マハーカッチャーナの周りを三回歩むと去り、仏の所に行ってひれ伏して礼をなし、一面にしりぞいて坐った。
「世尊、先に説かれたお教えは詳しくは説かれていません。そこで宴の席で尊者マハーカッチャーナにその句を解説していただきました」
 世尊はこれを聞いて賛嘆して言った。
「よきかなよきかな。我が弟子たちには眼と智と法と義がある。それゆえ、師が弟子におおまかに説いて詳しく説いていないとわかった。弟子の尊者マハーカッチャーナはこの句について詳しく説いた。
 諸君らも尊者マハーカッチャーナが説いたことを受持すべきだ。なぜかと言うと、その内容はまさにそのとおりだからだ」
 仏がそのように言うと、比丘たちは仏の説いたことを聞いて喜んでうけたまわったのだった。

温泉林天経第四、おしまい。

※試みに別の解釈もつけておきます。
世尊はこれを聞いて嘆いて言った。
「よきかなよきかな。我が弟子たちには眼と智と法と義がある。それゆえ、師が弟子におおまかに説いて詳しく説いていないと言うのだ。弟子の尊者マハーカッチャーナはこの句について詳しく説いた。諸君らも尊者マハーカッチャーナが説いたように受持すればよい。なぜかと言うと、言ってることは間違ってはいないからだ」
……どちらの解釈をとるかはあなた次第です。


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