賢愚経巻十三 婆世躓品第五十九

 このように聞いた。
 仏がラージャガハ(王舎城)の耆闍崛(ギジャクータ)山にいた時のこと。その国には尸利躓(シリチ)という富豪の長者がいた。
 その家は大いに富み、宝があふれていた。
 夫人が懐妊し、月満ちて男子が生れた。容貌優れること世にも希で、父母は幸に大いに喜んだ。
 占い師に吉凶を占わせると両親に言った。
「この子の福徳は一族を栄えさせます」
 長者は益々喜び名をつけさせた。
占い師「この子が生れるにあたり、何か瑞応はありましたか」
長者「その母は本来、口下手で言うこともつまらなかった。この子をはらんでから話し方がとてもうまくなった」
 そこで婆世躓(バセチ)と名付けた。
 成長して、同い年の者よりも聡明で才能がぬきんでていた。
 あちこちを見て歩き、芸能者の娘が輝くように美しかったので恋をして、嫁にしたいと思った。家に帰って父母に嫁として求めてほしいと言った。
 父母は言った。「私達は身分が高い。そのような凡賤の者とは釣り合わない。どうして結婚できようか」
 子の情は深く、自分ではどうしようもなかった。そこで重ねて言った。
「家柄を問わず、その身で論じてください。私の願いを哀れみをもって受け入れてください。さもなくば、自殺します」
 父母はこれに従い、人をやって娘を求めた。
 相手の家からの答えはこうだった。
「あなたの家は立派で私はいやしい者です。元からつりあいがとれません。どうして縁が結べましょう」
 その子は丁寧に説得し続けた。さらに手紙を送り、使者を立てた。相手の答えはこうだった。
「もし私達の縁者になろうというのなら、種々の芸術を覚えなくてはなりません。歌い舞いコントを演じることを、全て覚えてください。そして、王の前で演じてきちんとできれば婚姻を整えましょう」
 子はその申し出に戸惑ったが、恥とはせずその家に行き、しばらく戯芸を学んで全て習得し終えた。
 国王は芸人を集め多くの芸を見た。高い旗にのぼり窓まで飛んだり、空中で綱渡りをしたり。長者の子もまた王のそばに行き踊りを見せた。
 綱渡りもしたが、その時には王は場を脱けて見ていなかった。王はもう一度やって見せよと命じ、その通りにした。
 気力が落ちていて途中で落ちかけた。何も支えがないことにパニックしたのだ。
 尊者目連は虚空を飛んで来て告げた。「今日身命を全うして出家して道を学ぶか、それとも地に落ちて彼女をめとるか」
「願わくば命をたすけたまえ。女はいりません」
 目連は虚空中にあって神通力で平地を作りだし、それを見ると長者の子は怖れがなくなった。そこで地におりることができ、全身を全うした。
 心の安穏が得られて喜びにたえず、目連を追って世尊のところに行った。※尊者目連、強引ですね。

 仏を礼拝・供養すると、仏は広く妙論を説いた。施論、戒論、生天論である。不浄にいることは、解脱のすみやかなるきっかけとなる。心は伸びやかになり初果を得た。そこで仏にを正法を奉じ修めたいと出家を願い出た。世尊はこれを聴きとどけた。
 髭と髪が自ずと落ち、法衣が身にまとわれ、すぐに沙門となった。比丘として専ら禅思に集中し、正業を行い、煩悩がことごとく尽きて阿羅漢となった。
 慧命たる阿難は仏に言った。「バセチ沙門は昔、彼女とどういう因縁があって執着し、死にかける危機に遭ったのですか。目連はどういう善因によって恩人となり、済度を得させたのですか。バセチはどういう因縁で阿羅漢になったのですか」
 仏は阿難に語った。

 はるかはるか昔、バラナ国に大長者がいた。初めて子が生れた。端正なること比べる者もないほどだった。
 当時、その家には海から来た人がいて、一個の鳥の卵を長者にさし上げた。しばらくすると卵が割れ、一羽の雛が出てきた。羽根はつやつやと光り、長者はこれを愛し、子とともに可愛がった。
 大きくなっても互いになついて、長者の子はその背に乗るようになった。鳥は背中に乗せて飛び、あちこちを見て回った。そして満足がいくと家に帰ってくるのだった。
 毎日このようにして過ごし、時がたった。長者の子は、他国の王が芸能者を集めて楽しむと聞き、この鳥に乗って出かけ、上から観覧した。鳥は樹上に止まり、長者の子はたまたま見た王女に一目惚れした。手紙に思いを滔々と記した。

 王女はこれを受け取り、交際が始まった。秘密にはしていなかったので王に知られ、長者の子はつかまってしまった。その身は縛られ、斬殺されかけた。
 長者の子は言った。「諸君、わざわざ私を殺すまでもない。自分で樹に登り、身を投げて死のう」
 皆はそれを許した。
 樹をのぼっていくと鳥にまたがり虚空へと飛び去った。この鳥のおかげで命拾いしたのだ。

 仏は阿難に告げた。「その時の長者の子が今のバセチである。王女が芸能者の娘である。鳥が目連なのだ。過去世で色に惑い窮地に至ったが、鳥のおかげで逃れられた。今また色におぼれ死にかれたところを目連に救われて安隠を得た。バセチが聡明にして弁舌素晴らしく、煩悩が尽きたのはなぜかというと……」

 はるか昔、バラナ国に居士がいて、辟支仏と会った。乞食に来たので居士が食を施したのだ。そこで経法を説くようお願いした。
 辟支仏はそれはできないとことわった。
 鉢を虚空に投げそれに乗って去った。居士は思った。
〈この人の神力はすごい。変化すること自在だ。しかし道を教えて教化はしてくれない。願わくば後生においてこの人の何億万倍もすごい聖尊に会いたい。法義を説き広めること極まりない人に。そして私もまた果証を得たいものだ〉

仏「この因縁で今世で聡明となり羅漢果を得たのだ」
 仏がこう説くと歓喜せぬ者はなく、ある者は初果から阿羅漢者を得、あるいは縁覚の善根を植え、あるいは菩薩心をおこした。
 皆が仏の言葉を信じ、うけたまわったのだった。

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