賢愚経巻第四 出家功徳尸利苾提品第二十二

賢愚経巻第四 出家功徳尸利苾提品第二十二
(シリーヴァッディの出家功徳の話)

 このように聞いた。仏がマガダ国の王舎城の迦蘭陀竹園(竹林精舎)にいたとき、世尊は出家を賛嘆し、功徳・因縁の福がはなはだ多いと説いた。
 もし男女・奴婢を放ち、聴衆となり、あるいは自ら進んで出家・入道する者は功徳無量である。布施の果報は十世にわたり福を受ける。天人の中で輪廻すること十度である。人を自由にして出家させたり、自ら出家する功徳はこれにまさる。何故かというと布施の果報には限界があるが、出家の福は無量無辺だからだ。また持戒の果報は神仙のように五神通が得られ、天福の果報を得て最後は梵天の世界に行くのである。
 仏法中での出家の果報は不可思議である。あるいは涅槃に至り、福は尽きない。もしある人が七宝の塔を建て、三十三天に至ったとしても、出家の功徳には及ばない。なぜか。七宝の塔は貪悪の愚人が破壊できるが、出家は毀壊できないからである。
 善法を求める心は、たとえ仏法が滅ぼされても滅ぼせない。それは百人の盲人の前に一人の明医がいて、その目を治せば明らかに見ることができるようなものだ。また百人の人が罪を得て眼を刳りぬかれようとしても、一人の権力者がその罪を救い目を失わせないようなものである。
 この二人の福は、無量とはいえ、聴衆が出家し、あるいは自ら出家する福の方がはるかに大きい。
 どうしてか。
 この二種の人の目を救った人は、一世代の利を与えたのみである。また、肉眼はいずれは壊れ行くものである。出家は転じて衆生を導き、永劫の無上の慧眼を与える。慧眼は時がたっても壊れない。
 どうしてか。
 福報は人天の中でほしいままに楽を受けること限りなく、ついには仏道を成し遂げるからである。

※出家の功徳を力強く説いています。「諸悪莫作諸善奉行」の善法を求める心があれば、たとえ表面的な仏の教えは滅ぼされても仏法は滅びないのです。

 出家は魔の眷属を滅する。仏種(仏教徒)を増益する。悪を摧滅する。善を長く育てる。罪垢を滅除する。無上の福業をおこす。
 これゆえ仏は出家の功徳を説くのである。高きこと須弥山の如く、深きこと大海のごとく、広きこと虚空のごとき功徳を。
 もし出家したい人を様々に留めようとし、非難し、その志に従わせなければ、その罪ははなはだ重く、夜の黒闇に何も見えないようなものだ。この人の罪報は、深き地獄の黒闇に入り目が無いまますごすことだ。大海に江河の百流が流れ込み全てその中に入るように、この人の罪報として、一切諸悪が一身に集まるのだ。須弥山の劫火で跡形もなく焼かれるように、この人は地獄の火に際限なく焼かれる。
 迦留樓醯尼藥(黄蓮)は、同量の石蜜と比較すれば極めて毒があり苦く感じられる。善悪の報いも同じことだ。もし聴衆が出家すればその功徳は最大である。
 出家の人にとってはお経は水のごときである。煩悩の垢を流し落とすからだ。生死の苦を滅除しえたら、涅槃の因となる。律を足とし浄戒の地を踏み、アビダルマを目として世の善悪を見るのである。八正の路をほしいままに歩み、涅槃の妙城に至るのだ。
 それゆえ人を放って出家させ、あるいは自ら出家すれば、老いも若きもその福は最も勝る。

 この時、世尊は王舎城の迦蘭陀竹園(竹林精舎)にいた。王舎城には尸利苾提(Sirī-vaddhi/シリーヴァッディ)という長者がいた。漢語では福増となる。
年は百歳で出家の功徳を聞き、出家して仏法の修道をしようと思った。そこで、妻子と奴婢に別れを告げて出家したいと言った。
 老耄の人ゆえ中の者が厭い嫌い、その言葉をバカにしており、従う者はいなかった。出家したいと言うのでみな喜んで「早く行け。どうして遅らせることがあるものか。今正にその時だ」と言った。シリーヴァッディは出家し、世尊に会って出家法を聞こうと竹林に向かった。

 竹林につくと諸比丘にたずねた。「仏、世尊、大仙、大悲もて天と人を広く利する方はいずこにおられます」
比丘「如来、世尊はよそで教化、利益なさっています」
シリーヴァッディ「仏に次いだ大師、智慧に優れた方はどなたですか」
 比丘は尊者舎利弗を指し示した。そこで杖をついて舎利弗の所に行き、杖を捨てて礼をして言った。
「尊者。私の出家を聞き届けて下さい」

※現代日本の仏教では、年老いてからの出家は、修行に耐えられなかったり、儀式作法が覚えられなくて断られたり、出家できても苦労するものです。

 舎利弗はこの人が老いていて、学問は出来ず、坐禅も出来ず、何事についても介助が必要なのを見て言った。「去りなさい。あなたは年老いすぎている。出家はてできない」
 摩訶迦葉、優波離(ウパーリ)、阿㝹樓陀(アヌルダ)らのところに行き、次に五百大阿羅漢の所に行ったが、皆、先に誰かに聞いたかとたずねた。かくかくしかじかと語ると比丘たちは言った。
「かの舎利弗は智慧第一です。それなのにあなたの言うことを聞き届けえない。我々もまた聞き届けられません。病のことをよく知っている良医が治らないと見捨てたとして、その他の小医が手を出すでしょうか。それはその人に死相があるからです。舎利弗大智が聞き届けず、その他の比丘も聞き届けない。そのなのにあなたは聞こうとしない」
 シリーヴァッディは諸比丘に求めたが出家はできず、竹園から帰り門楼の上で悲泣懊悩し大声で泣いた。
「私は生来、大きな過ちもなくすごしてきた。なのにどうして出家を聞き届けてもらえないのだ。
ウパーリなどは髮を剃る卑しい人ではないか。
泥提はいやしく穢れた糞の掃除人だ。
鴦掘摩羅(アングリマーラ)は無数の人を殺している。
及陀塞䩭は大賊の悪人だ。これらの人ですら出家を許されている。私に何の罪があって出家できないというのだ」

※泥提と及陀塞䩭については未詳。お教えを乞う所

 こう語った時、世尊がその前に踊り出た。大光明を放ち、相好は荘厳で、忉利天の王、帝釈が七宝の高車に乗ったかのようだ。
仏「そなたはなにゆえ泣いているのか」
 福増長者は仏の素晴らしい声を聞くと、子が父を見るように心が躍った。五体を投地し、仏に礼をし、仏に泣いて言った。
福増「一切の衆生、殺人したものに賊、妄語をしたり誹謗したもの、下賎の人でも、皆出家できています。私だけ何の罪があって仏法の出家ができないのでしょう。我が家ではみな、老耄のゆえ私を必要としていません。今、仏法でも出家できず家に帰ったとて、以前の扱いはしてもらえないでしょう。どこに行けばいいのでしょう。命を捨てるしかないのでしょうか」
 この時、仏はシリーヴァッディに告げた。「誰でも手を挙げた者が出家できると定めてある。老いたがゆえに出家できないとすべきではない」
長者「世尊は法転輪王の第一の智者です。仏に次ぐのが第二の世間を導く師である舎利弗です。この人が出家させなかったのです」
 この時世尊は、大慈悲もてたとえで福増をなぐさめた。あたかも慈父がたとえで孝子をなぐさめるように。
仏「そなたは悩むべきではない。私がそなたを出家させよう。舎利弗は三阿僧祇劫の精懃苦行と百劫の福徳を積んではいない。
舎利弗は世世難行を積んではいない。
頭を割り眼をえきぐり脳髄・血肉・皮骨・手足・耳鼻を布施してはいない。
舎利弗は身を餓えた虎に与えてはいない。
火坑に入り、身に千の釘を打ち、身を削って千の燈火を捧げてはいない。
舎利弗は国・城・妻子・奴婢・象・馬・七宝をなげうって与えてはいない。
舎利弗は初阿僧祇劫に八万八千の諸仏を供養してはいない。
中阿僧祇劫に九万九千の諸仏を供養してはいない。
後阿僧祇劫に十万の諸仏世尊を供養し、出家・持戒し、持戒し波羅蜜を具足してはいない。
舎利弗は法自在を得てはいないのに何をもって誰が出家する・しないを制言できよう。

※前にも書きましたが『賢愚経』は反舎利弗派の誰かの思想が入っているようです。舎利弗はえらいけなされようですね。

ただ私一人が法において自在なのである。
私のみが忍辱の鎧を着て六度宝車にひとり乗った。
菩提樹下で金剛座にすわり魔王の怨みを下した。
ひとり仏道を得、私に並ぶ者はいない。
そなたらは来て私に従った。私はそなたらを出家させた」
 世尊はこのように種種のたとえで福増を慰めたので、悩みはすぐさま除かれた。心に大いなる歓喜を得、仏に従ってあとにつき精舎に入った。
 仏は大目揵連に命じて出家をなさしめた。なぜかというと衆生は縁によって得度するからだ。仏に縁ある者は他の人では得度させえない。
 舎利弗に縁ある者は、目連、迦葉、阿那律、金毘羅等の一切の弟子には得度させられないのである。
 この時、目連(大目揵連)は思った。
〈この人は老耄ゆえ誦経・坐禅・いろんな事が出来ないではないか。 しかし法王たる仏は出家させるよう命じられた。そむくことはできない〉
 そこですぐに出家させ、具足戒を受けさせた。この人の前世にはすでに得度する因縁があったのだ。
「法鉤をのめば魚が鉤をのんだと同じ。釣られるのに疑いはなし」と言う。
 福増は、諸善功徳をおさめ終え、昼夜精勤し、お経とアビダルマを読誦・修習し、広く経蔵に通じた。
 年老いているから上座への恭敬・迎送・礼問はきちんとはできなかった。というのは諸々の年少の比丘が先に出家していて上座になっていたからだ。
常に苦言によって鋭い指摘をした。この老耄の比丘は自らの高齢なるをたのみ、誦経・学問において憍慢で偉そうぶり、相敬うことをしなかった。
 老比丘は思った。〈在家の時は家の家族たちに悩まされた。今、出家して休息が得られると思ったが、また年少の輩に切実に悩まされる。何の罪あって苦悩が増しているのか。今はむしろ死にたい〉
 林のほとりに大河があり、水は深く流れは速い。そのそばに居所を定め、袈裟を脱ぎ、樹の枝の上に掛けて衣に向かってひれふし泣き崩れた。
そして自ら誓言を立てた。
「自分は今、仏法と衆僧を捨てるのではない。ただ命を捨てたいのだ。この身の上衣は、布施・持戒・精進・誦経である。我が捨身によって、富楽の家に生れ、眷属にめぐまれることを願おう。わが善法のゆえ、難が残らず、常に仏法僧の三宝にあい、出家・修道し、善師に会い、悟りと涅槃を示せることを願おう」

※老人には経験から来た自負があります。まして教学に優れた場合、若い僧侶をあなどり、彼らから疎まれることもあるでしょう。このあたり、本当によく人を見ていると感心します。

 誓願を終えて、河の深く速く波だつるつぼに飛び込もうとした。
 その時、目連は天眼通によって老弟子がしようとしていることを見、弟子のところに行き、水に落ちる前に神通力をもって救いあげた。
目連「法の子よ、そなたは何をしようというのだ」
シリーヴァッディは大いにくやんでどう答えようかと悩んだ。
〈嘘をついて師をあざむくことはできない。師をあざむいたら、舌が原因となって世々の罪を得るだろう。そして我が和上、目連は神通力にすぐれ人を見抜く力がある。たとえ嘘をついたとしても、おのずと知れよう。
世に、智慧明達にして性質は実直な人がいれば、諸天も尊敬する。
もし智慧ある人があざむこうとすれば、人の師にならなれる。人が恭敬し供養する。
もし智慧がなく正直であれば、たとえ他のことが出来なくても生活はできる。
もし愚かで嘘つきなら、一切衆生の中で悪く賤しく下劣だ。何を言っても人はみな見抜き、本当のことを言ってもこの人は嘘つきだからと信用されない。
それゆえ、もし和上をだましたらこれは自分によろしくない。本当のことを言うべきだ〉

※シリーヴァッディの葛藤と打算と自己分析がうまく描かれています。

 そこで師に言った。「私は家をいとい出家しました。休息がほしかったのです。今、また楽しくありません。そこで命を捨てようと思ったのです」
 目連は聞き終えて思った。〈この人は生死のことを怖れて出家したのではない。怖れていれば得るものが必ずあり、出家の利があるのだが〉
目連「そなたは今、必死で我が衣のすそをつかんでいる。離すべきではない。師の教えを奉ずれば、塵や草を軽く吹き上げる風のようになれる。
上に当たるのは虚空のみ。神足通で空に遊べば一毛をつかむのも自由自在なのだ」
 目連は、猛き鷹が飛び上がり虚空に小鳥つかまえるように、身は虚空に登り、臂を屈伸するほどの時間で大海のほとりに至った。
 そこには死んだばかりの女人がいて、顔は端正で容姿端麗だった。一匹の虫が口から出て鼻に入り、眼から出て耳に入る。目連はその様子を心にとどめると、その観を捨てた(目連立觀。觀已捨去)。

※身体汚穢の観をなしています。

シリーヴァッディ「和上、この女人は何なのです」
目連「まあ待ちなさい。少し先を見てみよう」
 すると銅の大鍋を背負った一人の女人が現れ、水を汲んで沸かし始めた。湯が沸くと衣を脱いで大鍋に入り、煮られた。
 まず髮と爪がぬけ落ち、肉が骨から外れた。骨が吹きこぼれて外に出る。風が吹くとまた人の形に戻る。自らその肉をとり食い始めた。
 福増はこれを見て驚き毛が逆立った。「和上、自ら我が肉を食べるのは何者なのです」
目連「まあ待ちなさい。少し先を見てみよう」
 大男が現れ、たくさんの虫に体のあちこちをついばまれていた。末端に至るまで針のような頭をした虫につつかれ、時々大声で泣きわめき叫んでいる。あちこちに響き、地獄の声のようだ。
「和上、この大きなひどい声を上げているのは何者なのです」
目連「まあ待ちなさい」
 次にあらわれたのは一人の立派な男子で、多くの獣頭人身の悪鬼神に取り囲まれていた。鬼神は、手に弓弩を持ち、三叉の毒矢を持ち、鏃(やじり)は皆、 火で燃えている。競って男を射ているのだ。男の体は燃え上がった。
「和上、この人は何者ですか。このような苦毒を受けて逃げられるところはないのですか」
「まあ待ちなさい。そう時間はとらせない」
 見れば一大山の下に刀剣が並んでいて、一人の者が上から投げ下ろされている。刀・戟・剣・矛にその身を貫かれてぼろぼろになる。そしてすぐに抜け、元の山上に戻る。また前の繰り返しで休む暇が無い。
 見終えると福増は師に言った。「この苦を受け続けている者は誰なのです。阻止しましょう」
 この時、一大骨山が見えた。高さ七百由旬。日をさえぎり海を陰で黒くしている。
 目連は、骨山の一大肋骨の上を進み、弟子の福増も従った。福増は思案した。〈今、和上は無事なままだ。次に何が来るかきくべきだろうか〉
「願わくば和上、我がために解説したまえ」
目連「その時が来たようだ。女人は舎衛城の薩薄(商隊長)の婦人だ。容貌端正にして、夫ははなはだ愛し尊重した」

 薩薄は大海に出ようとしたが、夫人を恋して求める心からともなって行った。
 五百人の仲間とともに船に乗り海に入った。
 大薩薄の婦人は木に鏡を掛け自分を見た。すると自らの目にも端正なので憍慢の心を起こし愛著がわいた。
 その時、大亀の脚が船にぶつかり船は破れて海に沈んだ。
 薩薄夫婦と仲間は全員死に、大海の常で屍は引き波によって戻され、夜叉・羅刹が岸辺に上げた。

※薩薄とは、Sabaeanの音訳で、元は古代アラビアの西南部Saba'地区の民で、航海に優れた商主のことを言います。

 衆生は命終のときの愛念によって生れかわる。誰が地獄を愛し地獄に行くだろう。
 皆は言う。三宝の尊い財や父母の物を盗み、あるいは殺人をするのが大罪で、地獄で熾火に焼かれるのだと。
 もし人が、風が寒冷なゆえに病にむしばまれていたら、火を思うだろう。そうすれば命終のときに火炎の地獄に落ちるのである。
 もし仏の燈明を盗み、寺の燈・燭・薪・草を盗み、あるいは寺の房舍・講堂を壊し、冬の寒い時に人の衣を力尽くで奪ったり、氷寒の時に奴婢やその他の人に水をあびせたり、強盗をして人の衣裳を奪った者は、寒氷地獄に落ちる。
 熱病にかかり、常に寒冷の所を思えばこの寒氷地獄に落ちるのである。
 優鉢羅(青蓮花)、鉢頭摩(赤蓮花)、拘物頭(黄蓮花)、分陀利(白蓮花)といった地獄もまたこのようなものだ。
 寒地獄の中で罪を受けた人は、身肉は凍り炒り豆のようにはじけ散る。脳髄はさらされ頭骨は百千万に碎破される。身の骨は矢や鋤によって切り裂かれる。
 ケチで飢餓の衆生から飲食をとりあげた者は餓鬼に落ちる。
 逆気の病で食べられなかった者、病の知識があって種種の食を強くすすめ、これは甘いこれは酸っぱいこれはうまくて消化しやすいと言い、あるいは食を強い、怒りの心を起こし、いつも食ベ物を得させない者は、命終の時、餓鬼の中に生れる。

※健康食マニア的な人は、餓鬼道に落ちてしまうのですね。
 そして、罪業ではなく、死ぬ寸前の執着が転生する地獄を決めるという説が説かれていることに注目。

 愚かなゆえに三宝を信じず道を誹謗した者は、畜生に落ちるという。病のために困窮し臥すしかなく、起居できず善言を喜ばず、周りの人は必ず死ぬと知って「法を聴き受斎受戒せよ。仏像を見たり比丘僧に会うべきだ。布施をせよ」と薦めるも本人は全く喜ばず、強く教え薦められることに憎しみの念を増し、もう三宝や善き名を聞きたくない、と願う者は命終の時に畜生に生れる。
 修善するのは人天の因だ。この人が大病して困窮し、臨終にあたって心が錯乱せず親しい者達がもうすぐ死ぬと知って「聞法を楽しまないか。仏像を見たくないか。比丘に会ってお経の偈を聞きたくないか。受斎受戒したくないか。財物を仏像に布施したくないか」と薦め、悉くそうしようと言ったら、また仏の形の像に布施すると言えば、仏道をなし得る。
 法に供養する者は転生して深い智慧を得、法相を深く解し、衆僧に布施をする。生れた先ではたくさんの珍宝を得、不自由なくすごせる。病人は法を聞き終えると歓喜し、生れた先で常に三宝にあい聞法・開悟したいと願う。
すると人に生れ変る。
 広く生天の善因をつみ、清浄にして施戒し、経法を聴くのを楽しみ、十善戒を修持する人は、命終に際して安穏に仰向けになり、
仏の形像、天宮の采女、天の楽を見聞きする。 顔色よくにこやかに手を上に上げて、命終のあとすぐに天に生れる。

※すでに仏像信仰がある時代なのですね。来迎思想の芽生えも見て取れます。

 あの薩薄婦は、自らの身に愛著し、命終えて虫に生れ変った。この虫の身の次は大地獄に落ちる。苦を受けること無量なのだ」
福増「和上、自らの肉を喰う婦人は何者なのです」
目連「舎衛国の優婆夷(在家の女性信者)の婢である」

 優婆夷は清浄・持戒の比丘を夏の九十日間、給仕し供養したいと請うた。自らの髪飾を売って房室を作り安らかに住まわせようとした。自ら種種のうまき食べ物を用意した。時到って、婢に食を運ばせ供養した。婢は屏の所に来るとおいしそうな物をつまみ食いして残りを比丘に与えた。
 夫人は婢の顏色がつやつやしているのを見てつまみ食いを知った。そこで、比丘の食を汚していないかたずねた。
「自分もまた信者で邪見の人ではありません。どうして先に食べましょう、比丘は食べおわって残りを下されたのです。もし先に食べたのなら、世々、自らの身肉を食べます」
 この因縁で生前は苦労し、命終えて大地獄に落ちた。正しく報いを受けたゆえに苦毒ははかりしれないのだ。

福増「諸々の虫に身を喰われ叫んでいた大男は誰なのです」
目連「寺の運営の物資を盗んだ比丘である。ほしいままに僧団の物・花・果物を飮食し、白衣を与えた。この報いとして命終ののちに大地獄に落ち、諸々の虫に食われているのだ」

※比丘の食や僧団の財物を横領した罪が厳しく言われています。このあたり、命終前の執着が地獄を決めるという説ではなく、昔からの業報による地獄行きが言われています。

福増「和上、周りから矢を射かけられ、身を火に包んで泣き叫んでいる人は誰です」
目連「この人の前身は有名な猟師だ。たくさんの禽獣を害した罪で苦毒を受けているのだ。この命が終れば大地獄に落ちる。長く出られないのだ」
福増「和上、大山の上に自ら来て刀・剣・矛・戟に身を投げ自らを裂く人は」
目連「王舎城の王で、大いに健闘した猛将だ。多くの命を奪ったがゆえにこの報いを受けている。死んだ後は大地獄に落ち、長い苦を受けるのだ」
福増「骨山となったのは誰です」
目連「知りたいか。これはそなたの体であった骨だ」
 シリーヴァッディはこの言葉に心から驚き、毛が逆立ち、怖れに汗がだらだらと流れた。
「和上、ながながと引っ張ったあげく、今の私は心が張り裂けそうです。私に本末因縁についてお説き下さい」
目連「生死輪転に際限はない。善悪の業に朽ちることはない。必ず報いを受けるのだ。若干の業を作っても報いを受ける」
 そして続けた。「過去の世に一人の国王がいた。名を曇摩苾提(漢語では法増)という」

 王は、喜捨・布施・持戒・聞法を好み、慈悲心があり、性格は暴悪ではなく、命を奪ったり傷つけるのを嫌った。
 王の相がそなわり、正法で国を治めること満二十年。することもなく暇で人とゲームをしていた。
 一人の法を犯して人を殺した者がいた。
 諸臣は王に言った。
「外にいる者は王法を犯しました。どのように罪を裁きましょう」
 王はこの時、ゲームに気が行っていて、国法通りに処理せよと言った。
 国法によれば、殺人は犯人を捜して死刑にすると決まっていた。
 王はゲームがおわり、諸臣にたずねた。
王「あの罪人はどうした。今はどこにいる。裁断しよう」
臣「国法に従って処置しました。今はすでに殺されているでしょう」
 王はこれを聞いて悶絶し地面に倒れた。左右の諸臣は冷水を顔にかけた。
 しばらくして王はよみがえり、泣きながら言った。
王「宮中の妓女、象馬七宝、みなどこにあろうと、ただ我一人、地獄の中にいて諸々の苦痛を受けるのだ。私が王になる前から、また王になってからも、遠からず死すとしてのちも、宮中にあっては王治が続くべきだったのだ。我が名は王として人命を害したがゆえに、いやしき王として知られるだろう。世々どこに転生しようと、王にはなれまい」
 そして王位を捨て、山に入ってこもり、命終の後、大海中に生れて長さ七百由旬の摩竭魚に生れかわった。

※そもそも、法を変えていなかったのが悪いのです。王は、自利のために殺生をしたくなかったともとれます。
もし、外国に攻められていたらどうしたのでしょう。色々と考えさせる話です。

 諸王や大臣は勢力をたのんで百姓をしいたげ、民を離散させ、命をうばった。その命は、虫となって魚の身をかじり、モウセンゴケのように身にびっしりとついた。体が痒いので水晶の山にこすりつけて虫たちをつぶして殺してしまった。血は流れ海は汚れ、百里四方が赤く染まった。この罪縁で命終ののち大地獄に落ちた。
 さて、摩竭魚は眠ると百年は起きない。飢渇を覚えて口を広げ、大河のように海水を流しこんだ。
 この時、五百人の商人が海に出て宝を取っていた。
 魚の開いた口から逃れようと必死で船を走らせた。
 みな、恐怖で泣き叫び言った。「我等は今日、死ぬに決っている」
 各人が敬うところの仏法僧や諸天・山河の鬼神・父母妻子兄弟眷屬に祈った。
「我等は今日、この世の見納めとなった。ながのおさらばじゃ」
 そして摩竭魚の口に飲み込まれた。
 皆同時に「南無仏」ととなえた。
 時に、魚は「南無仏」の声を聴くと、即座に口を閉じ、海水は停止した。
 商人たちは九死に一生を得た。
 この魚は飢えてなくなり、王舎城中の夜叉羅刹に転生した。
 摩竭魚はその身を海辺におき、日々雨にうたれ、肉は消え骨が残った。この骨の山がそれである。

目連「福増よ、知るがよい。この時の法増王がそなただ。殺人の縁によって大海中に落ち摩竭魚となった。そして今、人身を得て生死を厭わない。もしここで死ねば、地獄に落ちて出ることははなはだ難しい」
 シリーヴァッディは昔の自分を見、この話を聞いて、生死を畏れるようになった。
 修法の手順を暗記し、心を集中して安定させ、昔の自身を見た。そして、無常の法を理解し、生死を厭離して煩悩を終結させ、羅漢の道を得た。
 目連は喜んで告げた。「法の子よ、そなたは今、なすべきことを全てなしおえた。そなたがここまで来たのも我が力によるのだ。さあ、そなたの神力を使え」
 この時、目連は空に飛翔し、シリーヴァッディもそのあとに従い、鳥の子が母に従うが如く竹林精舎に帰った。
 年少の比丘たちはまだ道を得ず、以前のように刺激した。
 シリーヴァッディはすでに心の調順を終えていたので、威儀に安んじ默っていた。
 仏はこの事を知ると諸比丘が悪行をしないよう、またこの老比丘の徳を顕彰するため、僧衆の中で福増を呼んだ。
「福増よ。そなたは今日、大海のほとりに行ったか」
「まことに行ってきました」
「何を見たか言いなさい」
 福増比丘は見たことをつぶさに述べた。
仏「よきかなよきかな、福増比丘。そなたの見たことは事実だ。そなたは今、すでに生死の苦を離れて涅槃楽を得ている。一切の人天の供養を受けられるのだ。比丘としてなすべきことはすべて具足した」

※仏教がめざすのは、生きたままの現世で涅槃楽を得ることなのです。

 年少の比丘は仏の言葉を聞いて深く憂い悔いた。
〈かくのごとく智慧ある賢善の人に対し、我等は無智と悪心から愚弄していたのだ。我等の受ける罪報はいかばかりか〉
 そして比丘たちは坐よりたち福増の所に行き五体投地をして言った。
「諸々の善い人生も悲しみがともにあります。大徳は今生においてまた大悲とともにあります。我が生をあわれんで我が悔過をお受け下さい」
福増「私は君らに対して善なる心しかない。悔過すべきことなどないのだ」
 シリーヴァッディは年少の比丘たちが恐怖しているのを見て説法をした。
「諸比丘よ。生死をいとう法を聞き、精勤修集なさい。煩悩を断ち尽して阿羅漢の道を得るのです」

 福増はこの縁善によって名が王舎城に広く流布した。諸人はみなその甚だしい奇特を言った。
「この長老は城中にては老耄にして布施もしなかったが、今、仏法にあって出家・成道した。その素晴らしい法を明らかに体現している」
 そして城中の人が多く浄心を抱き、ある者は男女の奴婢を放ち出家させ、ある者は自ら出家した。この因縁によって出家した者に歓喜せぬ者はなく、
出家の功徳は無量無辺であった。福増は百歳でようやく出家したが、このような大功徳をなしとげたのである。
 いわんや妙勝の大果報者を求める盛年においておや。まさに修法につとめ出家学道をすべし。

※以上で『賢愚経』第四巻はおしまい。福増比丘も、目連というよい師を得たから成道し阿羅漢になれたのですね!

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