今離婚を考えている夫婦へ

特に、子どものいる夫婦へ

悩むなら、今すぐ離婚した方がいい。

うちの両親は、10年以上前に離婚した。離婚してから父親にあったのはたったの1回きりで、それ以降の父親のことは、生きているのか死んでいるのかすら知らない。

現代社会で、離婚なんてよくあることだ。転校した先の学校にも両親が離婚していたり再婚していたり兄弟と血が繋がっていなかったり、いわゆる複雑な家庭というのは沢山あって、案外自分は特別でもないのだと思っていた。実際、私は幸せに生きている方だとも思う。しかし、それでも父親がいないというのはそれなりに辛いものだ。

第一に、友人が父親の話をしている時その話に入れない。私は少しだけ父親を知っているけれど、全部を知っている訳では無いし思春期の子どもと父親の間でよくあるトラブルみたいなのは経験したことがない。だから、父親の足が臭いとかギャグが寒いとか誕生日プレゼントを貰ったとか旅行に連れて行って貰ったとか、そういう話には全く関わることが出来ないのである。子ども社会は、大人社会以上に共通点がない者を明らかにはぶこうとする。だから、多くの子ども達は周りの子が最新のゲーム機を買えば最新のゲーム機を買うし、みんなが鬼滅を好きなら鬼滅を見るのだ。でも、父親が居ないことはどうしようもない。父親が欲しいですと言って、簡単にプレゼントしてもらえるわけじゃない。だからって、血の繋がってない全くの他人に父親〝役〟になって欲しいわけでもない。生まれた時から私自身を知っていて、愛してくれる本当の父親を求めているのだ。(もちろん、そのほか特殊な親子関係が存在することは承知の上での表現であることは理解して欲しい)

次に、ここ最近強く感じるようになったことなのだが、父親の話題を振られた時の対応が難しすぎることだ。これは先達がいれば対応策を教えて欲しいのだが、本当に難しい。バイト先や買い物で世間話している人や普段関わらない教員などと話していると、特に年配の方は何気なく「お父さんはなんの仕事をしてるの?」と聞いてくる。これは世代の問題なのだろうが(そもそも他人の家庭環境に質問をすること自体、この時代ではナンセンスだと思う)、正直めちゃくちゃ困るから一番質問しないで欲しいと思っている。嘘をつくのは簡単だけど、それなりに今後も関わるであろう人に出鱈目を言うわけにはいかない。まして、咄嗟に父親の仮の仕事なんて出てこないし、無難にサラリーマンというのも身辺にサラリーマンがいないので難しい。昔父親がやってた仕事を答えるにしても、当家の父はフリーターみたいな感じで定職につかず半ニート半ヒモ生活をしていた記憶しかないのである。

ここまで語ってきて、結局のところ父親がいないことで困るのは家庭内部の問題よりも友人や社会と関わる時に、ちょっとだけ面倒くさいという程度のものである。父親がいないから、母親がいないから虐められることはないし(少なくとも私が生活していた中では)、なにか家庭内で大きなトラブルが起きるというわけでもない。だから、どうか子どもを離婚の足枷に思わないで欲しい。そしてその事で、謝らないで欲しい。

母は離婚から2年くらいずっと謝り続けていた。ことある毎に「お父さんがいないおうちにしちゃってごめんね」と謝っていたことを今でも鮮明に思い出すことが出来る。父親の顔よりも、声よりも、その時の母の悲しそうな苦しそうななんとも言えない顔と声の方が何百倍も思い出して辛くなる。だから、私にとって、私たち兄弟にとって、母親の前で父親の話をすることは絶対のタブーになってしまった。本当はそんなことないのだろうし、思い出話はいくらでもして構わないはずなのに、母親の顔が脳裏に焼き付いて、簡単に「お父さん」と口にすることが出来ない。この記憶が、私の中の〝お父さんボトル〟にギチギチに蓋をしてしまった。

中学校の時、その〝お父さんボトル〟が爆発して、何ヶ月も学校に行ったり行かなかったり渋ったりというのを繰り返した時期がある。〝お父さんボトル〟爆発のきっかけは、母親に恋人ができたことだ。小学校の頃から、なんとなく母が男の人と仲良くしているというのは感じていたが、中学校に入ってからは家族内で公認の関係になり、以降少しずつ会う機会も増えていた。母親にとっては、何人も付き合った男の人のうちの1人でしかないだろうし、末の弟や妹にとっては知らない父親の話を聞くより知ってる親切なおじさんの方が何倍もよく見えるだろう。だから、ここでも私は〝お父さんボトル〟を緩めることが出来ないままどんどんストレスだけをため続けた。その結果、何をする時も父親の存在を考えずには居られなくなって友人関係も上手くいかないし何もかも思い通りにならないまま、学校を休むようになった。母から言わせれば、家で起きていることと学校に行かないことは全くの別関係らしいが、学校に居れば嫌でもパパ大好きなあの子の父親の話を聞かなければならないし、同級生が両親といて幸せそうに生活している様を見て何が楽しいだろうか。気持ちと実際の状況の因果関係なんてあってないようなものだ。しばらく休み続けて、祖母まで動員する大事になった時私は母に「お父さんに会いたい」と言った。ついに〝お父さんボトル〟のキャップが緩んだのである。10年間、言いたかったことをやっと口にできてそれ以降はほとんど学校を休まなかった気がする。結局、理由は分からないが父親には会わせて貰えなかった。

つまり何が言いたいのかと言うと、親が離婚について過剰に謝るということは、子どもに対して「離婚は悪いことであなた達にたくさんの迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ないし、私はすごくすごくこのことで悲しんでいるので、どうか離婚に関わる話をしないでください」と、暗に伝えているようなものなのだ。さらに言うなら「あなた達がいなければ、私が離婚についてこんなに苦しむことはありませんでした」とも聞こえる。もしかしたら、私の中のトラウマは後者かもしれない。実際にはそうでなくとも、だ。親の心子知らずとは言うが、実は子どもの方が親の感情の機微を感じ取っていて遠慮している場面は、親が思っているよりずっと多い。私は、親が謝る姿がトラウマになって、未だに母親との間にモヤモヤした霧のような壁を作っている。これから先、子どもとの間に不要な蟠りを生まないためにも、子どもに親が謝る姿や弱っている姿は見せない方がいい。親は確かに人間だけど、子どもにとって親は人生の指針で拠り所だから。

そして、離婚後に親が相手の悪いイメージばかり語るのも絶対にしてはいけない事だ。母は、私が父に会いたいと言ったあとから過剰に父親の悪い所ばかり語り始めた。多分、私が父親に盗られてしまうとか私たちに危害を与えそうなくらい危険人物に成長していたのか.....理由はともあれ、会わせない為に言っていたんだと思う。それでも、実の母から実の父について「あなたのお父さんは、養育費を1円たりとも支払っていない」「仕事もすぐ辞めるし好きなことしてばかりのダメな人だった」「あなた達に会いたいなんて一言も言ってこないし、愛してなんていなかったんだよ」とか、そういうことを聞くのは、すごくすごく辛い。今こうして、文字にしているこの瞬間でさえ涙が止まらないほどに辛い。実の父親が、私たちにあんなに笑って接してくれていた人が、いざ離婚してしまえば、まるで赤の他人のように知らんぷりをしているという現状を聞くのは、耐え難いものである。だから、たとえどんなにクズ人間だとしても子どもの前で良い親だったなら、その親について周囲がとやかく愚痴を言うのは絶対にしてはならない事のひとつだと思っている。私は、弟や妹に父親に関する話は全ていいことしか語っていないつもりだ。私が直視したくない現実に蓋をするためでもあるけれど、それでも彼らに自身の父親が自分を愛していないなんて事実を伝えるような勇気はない。知って欲しくないのだ。

母には多分、この気持ちは永遠に分からないだろう。理解はできても、共感することは絶対にできない。祖父は厳しい人だし母に対して傷つけるようなことも言うけれど、祖父の言葉には愛がある。母を想って、愛しているのが伝わってくる。母がもし、社会や世間から石を投げられたら祖父はその石を倍にして投げ返すだろう。母が死んだら、父は周りの目もはばからず全力で泣くだろう。でも、私の父はどうだろう?私のお父さんは、私がどこかで石を投げられていることをずっと知らない。知らないし、知らんぷりをしているし、投げ返してもくれない。きっと今、私が死んでも、知らないし、知らんぷりをするし、泣きもしない。母が私に伝えたことに、どんな意味があるのか、その真実は分からないけれど、私はそんな親がいるという真実に、ただ一方的にぶん殴られただけだ。

最初に父に会いたいと伝えて以降、1度も同じ話をしたことは無い。蒸し返す気もないし、母への期待はほぼ0に等しい。もし今、目の前に両親が揃ったら迷いなく父を選ぶだろう。愛されていないとわかっていても、まやかしでもいいからどうか傷つかない方を選びたい。

父は今どうしているだろうか?生きているだろうか?死んでいるのだろうか?母が何も言わないのは、父が自殺してしまったからだろうか?憶測に過ぎないけれど、もしも自殺したのならその理由が私達であればいいと思う。もしそうなら、ほんの少しでも愛されていたことの理由にならないだろうか。

母は数年後、きっと再婚する。再婚して、新築の家に、新しい夫と生活する。母の人生は再スタートする。

私の思い描くような人生は、もう絶対に再スタートできない。私の父親は、後にも先にもあの人しかいない。新しいお父さんなんていらないし、彼を新しいお父さんだと思うこともまたできない。

今、離婚を考えている夫婦に子どもがいるのなら、そして2人が等しく子どもを愛しているのなら、愛している証拠を残して欲しい。会える機会をたくさん作ってほしい。

愛されていないかもと想像したり、愛されていない事実を告げられたり、苦しむ親の姿を見るのは、一生治らない傷になる。その傷は、カサブタすら出来ないままジュグジュグの状態でいつも細菌にまみれている。周りのほんの一言で、すぐに化膿してしまう。

離婚なんて、よくあることだ。深く考えなくていい。あなたが苦しいなら、今すぐハンコを押して役所に提出した方がいい。大事なのは、その後、子どもを愛し続けて愛の形を残してあげること。アフターケアさえしっかりしていれば、子どもは周りの子よりずっと強く成長できる。

今離婚を考えている夫婦へ

悩むなら、今すぐ離婚した方がいい。


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