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KAIKAI-GO

 最近、休みであるはずべきの土日が自分以外のことで潰れがちである。一体、なにをしているのか。簡単である。祖母の介護を行っている。
 来るべき時が来た、と思った。親族の介護。サブカルチャーが好きでワチャワチャな考えが脳を駆け巡っていても、会社にしっかりと勤めて賃金を稼いでいたとしても、パンクロックが好きでなにか破壊活動に従事していたとしても、いつしかやってくる行為、介護。祖母の軽くなった身体を支えながらトイレの介助を行ったりするし、飯を食べることのサポートを行う。その介護活動に駆り出されては、貴重な土曜日曜のプライベートタイムをゴリンゴリンと削られている。介護を優先しなければならない為に、予定していた友人との約束たちは先月・今月と無情にも砕け散っていった。
 介護、とは言っても、各々の負担はそれほどに大きいものではない。幸運にも支援を行う人間が多くいるため、ローテーションを組みながら祖母の介護を行っている。平日は僕以外の誰かが担当して、土日といった休日は僕が担当する。土日の僕は暇だと思われているのだろうか。高尚な詩を詠みながら酒をどれだけ美味く飲むかを考えることで怱怱たる時間を過ごしているというのに。
 実際なにをしているかと言うと、待ちの時間が多い。祖母の食事の準備や排泄の補助など絶対手に必要な行為の際には、ベッドから身体を起こして車椅子に乗せる、ふやふやの飯を口まで運ぶなどをしている。必要な介護をしていない時間は、ベッドで横になっている祖母の話し相手になったり、なんかぼそぼその薬を飲ませたり、身体に異変がないかを確認したりと、そこそこ必要な行為に徹している。しかし、それ以外の時間と言えば、じぃと椅子に座しながら祖母の暇つぶしのために流れているTVショーを漫然とした気持ちで眺めている。どんな介護行為も我慢はできるのだが、この虚無に徹底した時間というのが本当に辛い。意味のないバラエティ番組をなぜ見ているんだという気持ちに苛まれるし、これがまた本当につまらない。小説でも拵えて読んでおこうかなと思うのだが、熱中しすぎて祖母の変化を見逃す危険性があるため避けている。
 こういった感じで介護のことを書くと、半開きの口を嫌な感じに曲げながら「そんなに介護で自分の時間が削られるならぁ、老人ホームに入れちゃえばいいじゃないですかぁ」みたいなこと歪んだしたり顔で言ってくる人間がいる。しかし、安心してほしい。その件についてはもう議論が済んでいるのだ。もちろん、僕はそのこと、つまり老人ホームへの入居をひとつの提案として挙げてみた。その結果どうなったのか。僕は「恩知らずで恥知らずの祖母不幸者」の烙印を押されたのだ。要するに、僕の老人ホームという提案は即刻一蹴され、今こうやって祖母と話をしながら漫然とした気持ちでテレビを眺めている。すっぴらぱりぽんのぴゅう。
 とは言え、悪いことばかりがあるわけではない。久しぶりに祖母とゆっくり話す時間を設ける事ができたのは非常に良いことだと思う。話す内容は主に祖母の思い出話ばかりだが。祖母は御年95歳、いや96歳だったか。そんな高齢なので学生時代の思い出といえば戦争とアメリカ占領で塗り固められている。なので、思い出話もそのことに関することが多い。嘉手納飛行場を作るために農具を担ぎ徒歩で通っていたとか、米軍の飛行機が超低空飛行で頭の上を過ぎていったとか、今まで聞いたことのない話を聞くことができた。戦争の話はどうリアクションを取っていいのか、どこまで掘り下げていいのか未だにわからないが、それでいても祖母の話に付き合うという時間はどんどん無くなっていくものだと考えると、なんとなく聞き逃してはいけないような気持ちになる。


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