起承転結とビジネスメール
夜寝る前にあれこれ考える。
主に考えることは寝る直前まで拵えていた文章のことが大概だ。昨日の文章で例えると、最終的な落ちは必要であったのか。必要であるなら起承転結にこだわっているということだ。であれば、なぜ起承転結に拘る必要があるのか、物語は大体にして起承転結が必要だと教え込まれている。刷り込まれている。こだわる必要はないのだが、この形式にあては豆ることで文章というのは成立すると思い込んでいるがゆえに、この呪縛から逃れることはできない。そう、まさに呪縛。呪いの一種として大脳新皮質にこびりついているのだ。
なぜこの呪縛から逃れることができないのだろうか。文章というものは前に書いた事柄に対して矛盾が生じなければ良いのであって、必ずしも緩急をつけたり、山谷を作るなどする必要は無い。言いたいことがあれば前後の矛盾がないかを精査した後、私の主張は何々ですと書いてしまえばそれでいいではないか。それを理解しておきながら、回りに回る道を選んだかと思えば中華包丁を振り回すオヤジを登場させ惨劇を作り上げる。一体何事だというのであろうか。
しかし、この起承転結がはっきりしている文章というのは日常に深く深く食い込んでいる。しかも、ものすごく平坦なものなので気づくことすら難し。その正体を示すなら、「お世話におります」から始まるOutlookとかThunderbirdなどで拵える文章の類だ。あれは感情や自我というself-consciousnessが入る隙というのは一切に無く、地平線が霞んで見えそうなくらい平坦な文章に変貌する。平坦といっても「お世話になります」から始まる文章ほど起承転結がしっかりしている文章はほかに無い。解説するならば、「お世話になります」これこそが起句であり、「以前よりお貸ししております負債についてご質問したいことがあり連絡したします」これが承句であり、「ご都合がよろしければ明日中に返却していただけると幸いです」これが転句であり、「よろしくお願いいたします」結句となるのだ。平坦な文章の中にシステマチックな起承転結が組み込まれているからこそ、呪縛から逃れられない要因になるうるし、なによりサラーリマンはその平坦と付き合う時間が恐ろしく長いがために呪縛の効力も日に日に強くなっている。そう、逃れることはほぼほぼ不可能に近い。なんと恐ろしいことだ。
寝る前にそんな事ばかり考えているせいか、寝る機会を逃してばかりいる。あまりにも眠れなさすぎて昨日においては仕事で嘘みたいなミスを犯してしまった。上司に平謝りをしながら起承転結がですねと言い訳をしていると、お前みたいな体型がダルマなやつに起承転結もあるかいと叱責され退職勧奨と相成りました。ぐふふふ。
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