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納まる仕事、収束へ

 仕事が納まった。こんなに嬉しいことはない。あとの年月は酒を飲んで馬鹿なことを宣って、阿呆なことを拵えるだけの日々を過ごすつもりだ。手始めに眼の前に有る大関ワンカップを半分ほど飲み干してみる。ああ、美味い。快感のお陰でヤバいくらいに末端がピリピリし始めている。ピピピ。
 年末の酒は何故こんなにも美味いのだろうか。久しぶりに訪ねてきた酩酊に問うてみる。
 早い時間にやってきた酩酊は、顔が畳ぐらいに大きく、耳の穴からは手が、二つに割れた顎からはそれぞれ足が生えている。歯茎からピロピロに垂れ下がったフリンジを鼻息でなびかせながらカピバラのような優しい目を僕に向け微笑んでいた。微笑みの裏側では何を考えているのだろうか。「あ、今屁こきたいかも」とか考えているのだろうか。だとしたら今すぐ帰ってほしんだけどなあ。
 僕が今いる職場は今世では珍しく、賞与を手渡しで渡してくる。しかも、この年の瀬も瀬の瀬戸際のこの時期にだ。無論、賞与をいただけるのは大変嬉しい。このお陰で、大晦日に雪が降りしきる中で金持ちの家で娯楽目的の労働をしなくてすむ。過去にやった酷いものでは、金持ちの娘が床に米粒を散りばめ、僕がそれを一つ一つ箸で摘み上げ口の中で炊飯する、という過酷な労働を強いられたこともある。数時間の屈辱に耐え抜き、もらった賃金はたったの餅が三個。泣きながらその場を後にしたのは言うまでもない。
 話を賞与に戻すと、この時期に賞与を貰うと大変に困る。使い道が限られてくるからだ。まずは、お年玉。に使うわけがない。そこいらの童には道端に生えている草花を分け与えればよろしい。特に、蒲の穂だと尚更吉である。次に、お歳暮。に使うはずもなく、ハムを買うのはいいが、渡す頃には我慢ができずうまい棒の如く食い尽くしているであろう。代わりに、ミロなどをあげるといい。甘いしカルシウムが入っているから健康によろしい。
 では、使い道はどこに有るのだろうか。答えは一つしか無い。酒である。年も末末で酩酊も早い時間にやってくるこの時期だ。酒以外の使い道がない。嬉しいことに、酒を提供する店は狂っているのでいつでも店を開けている。僕のような幻視持ちはその店に韋駄天の如く駆け込み三杯を一気に流し込む。それで大変愉快な気持ちになる。気が狂っている店も潤う。なんつか、Win-Winの関係性というのはこのことを表しているのではないか。
 というわけで、明日は忘年会だ。年を忘れる会と書いて忘年会。気がついたら、名も知らぬ女と暮らしている程時が経っていないことを願うばかりだ。あびゃん。

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