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プラモデルは鬱に効く僕が言うから間違いない

 写真を見返していると、プラモデルを一心不乱に触っていた時期が鬱で苦しんでいた時期とピッタリ重なっている。会社にはまともに出勤できないのに、プラモデルを触ることはできたもんだから自然と机に向かう時間が多くなり、消費するプラモデルも多くなる。見返す写真の中にプラモデルの写真が多くなれば、その時期はまともな生活を送れなかったことの現れである。
 その様子を見返していると、心の奥底がムズムズと痒くなりなんだか座りが悪くなってしまう。それもそのはずで、過去を見返すということは当時のしんどい記憶を脳に思い浮かび上がらせるからだ。つまりは、自ら強制的にフラッシュバックを起こさせ、自ら心を沈ませる自傷行為みたいなものと等しい。そんな自ら暗い場所に足を踏み込無用な行為をしすぎると、今でもいつ爆発するかわからない鬱がエクスプロージョンを起こし、また写真の中にプラモデルの数を増やすことになるだろう。過去を振り返る行為が身体に毒になるとは思わなんだ。
 しかし、出勤もままならないような状態にある鬱の時期にプラモデルだけは触ることができたというのは、裏を返せば、プラモデルにそれほどの魅力があったのだと解釈することもできる。鬱になれば飲食も何もすることができずにただただ寝ている状態になるというのをよく耳にする。それは正しいと思うし僕も陥ったことがある。しかし、僕は幸運なことに鬱の状態に陥ってもプラモデルを触ることができた(出勤することはできなかったが)。それはなぜか。プラモデルを触っている時間は、プラモデルのことだけを考えればいいからだ。
 将来・未来の不安、現状への不満、今のままだと改善を行う手立てなど存在しない。しなければ人間らしい生活なんて送れるはずがない。改善しなければ。改善しなければ。しないといけない。だけどカネがない。けどしないといけない。やらなければならない。そんな考えばかりが頭の中を行き来し、いつの間にか頭がパンクする。これは僕の場合の藩士であるのだが、この考え・使命感の反芻こそが鬱に陥る原因であった。思考だけが独り歩きしすぎて、身体機能がついていくことができない。この状態こそが、鬱になれば身体を動かすことができないというものの正体だと思う。
 思考が暴れすぎているのであれば、どうすればいいのか。それを少しばかり整理すればいいだけの話なのだが、これがどうにも難しい。不安ばかりが脳内を駆け巡り別のことを考えることもできないのだ。強制的に別のことを考えても、次の瞬間にはまた不安に苛まれる。だが、別のことを考える一瞬だけはなんとか身体を動かすことができた。僕はその一瞬の隙を縫って、机に向かいプラモデルを触ることに成功していたのだ。
 プラモデルを触っている間はプラモデルだけのことを考えていればいい。説明書内にある基になった機械に関する文章を読んだりだとか、のこれとこのパーツを組み合わせる手順があるのかとか、塗料はこれとこれを使えばそれっぽくなるのかとか、そういったある意味機械的でシステマチックな行為に没頭することで、他の情報をシャットアウトすることができる。それは思考に対しても有効で、先程まで抱えていた不安はいつの間にか消え去っており、今目の前にある現象に対してだけに思考を巡らせることができる。まぁ、消え去った不安はまた後になってやってくるのだけれど…。しかし、プラモデルを触っている瞬間だけは鬱の自分を忘れ去ることができたのは事実。僕はこうやって鬱とどうにか付き合ってきたのだ。
 今後も鬱に陥ればまたプラモデルを触ることが多くなるのだろうか。それはそれでいいのだが、できれば今のような健全な精神にいる中で楽しみたいネ。

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