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Oh, Lonesome Feeling but 飲酒

 酒を飲んだ。Oh, Lonesome Feeling。頭の中でウェイラーズの曲が爆音で流れている。素晴らしいこの感覚、現から乖離する瞬間にはアイリーな音楽がピッタリであると言う他無い。所謂、SKAを頭の中で響かせて現実から逃避させる。こんなに素晴らしいことは無いのではと一瞬錯乱する。錯乱。錯乱しなければ今いる現を生き抜くことは難しい。なぜか。なぜかと考えること自体無意味であるのだが、そのことについて考えなkればならない。と書いたところで、最近物語を読んでいないことを思い出す。物語を読まずに、現実に即した問題を取り扱っている本ばかりを読んでいることを思い出す。トランプ信者だとか、Qアノンだとか、イスラエルだとか。本音を言ってしまえばそんなことは自身には全くもって関係がないので学ぶ必要はないのだけれど、何故か学んでしまう。なぜか。ううううんん、このなぜかが非常によく泣き。現実に即したものばかりを読んでいると、現実ばかりが絵に入ってしまい、行間を想像する力が衰えて医療な気がしてならない。嫌だ、嫌すぎる。現実が嫌で嫌で仕方がないのに現実的な考えを持たなければならない。当たり前だ。夢を見て気落ち良くなっている年齢ではないからだ。泣けてくる。いつの間にか交代不可能な年齢まで到達してしまった。何もなせてはいないのにも関わらず。しかし、悲観している場合だろうか、とも思う。そんな事している暇があれば、一抹のなにかを掴み取るために動き出したほうがいいのではないか。正論すぎて泣けてくる。誰か僕を助けてくれと叫んだところで何もやってはこない。わかっているのだ。もう退路は既に塞がれていることを。泣ける。この年になって助けを求めるのか。助けを求める。非常に良いことではないか。叫んでみようか、助けてくれと。助けてくれ!!!! 叫んだところで何も変わりはしない。虚しく響く僕の声。祇園精舎ではあるまいし。ラーメン屋の店主は食券の色で客を判断するんじゃねぇ、アバターじゃあるまいしと言っていた。カウンターで麺を頬張っていた僕は全てを福田しそぷになりながらその店を後にしたのだが、空では星が光ってもいなかった。ビカビカと光が散りばめられている都会では星を見ることはかなり難しい。京王線から都営新宿線に乗り換えた時にそう考えた。千葉ではギリギリ星を眺めることができる。土手で意識を朦朧とさせながら野宿した僕が言うので間違いない。冬の夜空は間違いなく近いものであり、このまま寝てしまえば到来するであろう死を予期視させてくれるほどに心地が良いものであった。一度全てに絶望した後に、川辺りで酒を飲みまくって野宿をしてみると良い。あの瞬間こそ、あの時間こそ、あの瞬く星を眺めた瞬間にこそ、生命は躍動する。


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