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雑な料理と酒

 先日、カツオの刺身を食べたのだが、身の新鮮さと凝縮された甘さに脳が破壊され、酒もそれなりのを飲んだがためか脳の破壊がエスカレーションしていった。あまりの快楽に脳の許容量が限界を迎えたのだろうか。最後の一切れを食べ終えたところで脳が爆発四散。ねっとりとした温度を持つピンク色の脳漿を一辺にばらまき、快楽の湯気が立ち上る様子を呆然と人が眺めていたというところで自身の寝床で目が覚めた。とてつもない快楽の経験だったと思う。
 カツオは脚が速いことで有名な魚であり、よほどの移送技術がなければ身の新鮮さを保つことが出来ないという。スーパーマーケットなどで販売しているカツオはグズグズの冷凍モノで、あんなもん不味くて食えやしない。宮古島から持ってきたこのカツオは最高に素晴らしい状態じゃ。その日の内に水揚げして、その日の内に捌き、その日の内に胃へと運ぶ。まさに神の見えざる手。俺がアダム・スミスじゃい! とカツオを持ってきた人が豪語していた。甘口醤油とマヨネーズ、七味唐辛子を混ぜ合わせた何色ともとれないぐちょぐちょの液体でカツオを頬張っている姿が印象的だった。
 最近の酒のつまみを思い出してみると、あまりいい感じの料理で酒を飲んでいなかったことを思い出す。カツオの刺身という珍しい、尚且つ整然とした料理で酒を飲むなんていつ以来だろうか。下手をすると、二月に行った伊勢以来かも知れない。そのぐらい普段のつまみというものに頓着がない。
 では普段、何で酒を飲んでいるか。なんでもない日の飲酒のことを思い出してみる。まず手始めに豚バラブロックを用意した。そのブロックを鍋の中に放り込み塩茹で。いい感じに長時間茹でた後は、サトゥルヌスの如くそのまま貪りたい気持ちを抑え、適当な大きさに切り分ける。切り分けた豚肉をコチュジャンか辛子かなにか辛味を付着させ、それを貪りながら酒を流し込んでいた。手が加えられていると思う人もいるかも知れないが、これは単純に茹での待ち時間が長いだけの料理だ。言ってしまえば、焼いただけの卵焼きと何ら変わりはない。
 そんな単純な料理ばかりで酒を飲んでいるものだから、酒から得られる快楽は日に日に麻痺していき、最終的には強い酒ばかりを求めるゾンビに成り果てる。ブラジルの名前すらわからない安い強い粗暴な酒を飲み始めたのは自分でも間違いだと思っている。
 荒んだ飲酒生活が始まらんとしている時に、カツオがやってきたのだ。全身筋肉の赤身といい感じの純米大吟醸を抱えて。いや。泡盛だったかも知れない。そんなことはどちらでもいい。荒廃し散らかりきった酒生活を正すかの如く、その旨味で脳漿を破壊してくれたのだから。
 これから生きていくうえで後何度、整然とした料理で酒を飲むことができるだろうか。水分が乾き切って軽くなった脳漿をパズルのように整理しながら悶々と考える。


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