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NO干渉 NOロハス

 誰にも干渉されたくない最良の場所を探し求めて彷徨いているのだ、誰にも干渉されないという場所はこの世に存在するはずもなく、もしそんな場所に行き当たったとしても、そこには誰にも干渉されたくないという欲を持った人間が集まっている。
 そうなると、他人の多少の動作だけで何が起きているのか気になり始め、間が悪ければ不愉快に陥ることさえだってある。現に、向かい側のブースに居る人の筆記から始まる動作音、欠伸を含めた呼吸音、耳から漏れる不協和音が気になってしょうがない。はっきりうるさいなと思うのだが、それは相手も同じことで、きっとタイピングの音が気になって仕方がないはずだ。その証左に先程から向かいのオヤジとちらちら目が合う。決して恋の予感をお互いに感じているからではない。
 誰にも干渉されない場所がほしい。その欲望の寄辺を人工物に充てがっている限り叶えることは不可能だろう。同じ場所に同じ欲を抱えた人間が一堂に介し、僕とオヤジみたいな静かな争いを繰り広げる。別の場所ではオバサンと小学生が殴り合いに発展しそうなほどのにらみ合いが発生している。そんな争いが起きていても誰も声を挙げない様子が可笑しいのだが、干渉を求めるこの場所では誰も声を上げない。残念なことにそれが現実だ。誰かに干渉されない場所というのは、何物にも干渉しないという場所でもある。
 では、それを叶えるためにはどうすればいいのだろうか。瞬時に思いつく解決方法としては、人の往来が少ない山などに家を建ててそこで暮らすということが挙げられる。瞬時に思いつく割には現実的で着手もしやすい解決法方である。山の麓でどこまでも広がる自然を眺めながら小鳥がちゅらちゅらぽーぽーと鳴くのを聞き、酒を飲んで日が傾いていくのを待ち続ける日々。いいね、最高の気分で老いボケていけそうだ。ナイスロハスと叫んでみようかな。だがその案は、僕の財布がそれは現実的ではないと悲観している。最近は己の身の薄さをさらに薄くするような事案が多くありすぎて粉になりつつあると悲鳴を上げている。その現実に僕も引き裂かれそうになり悲観と悲鳴。あがががが。
 また干渉のない場所を求め彷徨きが始まる。もういっそのこと、誰かに干渉されないということを諦めて生きていきべきであろうか。干渉に干渉を重ねて生きていくべきであろうか。オヤジと視線を合わせ続けるべきであろうか。小学生とオバサンの睨み合いを止めるべきであろうか。ナイスロハスは諦めるべきであろうか。未だ判然とせずコンクリートの地面だけを眺めている。

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