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外見で本を買ってよかったなと思う。

 あぁ、この本を買ってよかったなぁと思う瞬間がある。
 本を買ってよかったなと思う瞬間は、大抵内容を読んだ後に訪れる。あぁ、この本はユダヤ人の迫害について話した本であるのだなとか、この本は某国が抱える貧困問題について書いた本なのだなとか、この本はとりあへず中身はないけれども言葉遊びを充分に楽しんでいるのだな、とか内容に関する様々な内容のもとに、この本はいい本でしたウケると、判断を下すことがある。しかし、それ以外でもいい本だったと判断を下すことがある。
 内容以外での判断とは何か。それは、本の装丁以外に異ならない。本を手に取る際に、好きな作家だから、とか、今話題になっているからとか、なんか参考文献にあったから、の選択を持ってして手に取ることはあるのだろうか。はっきり言おう。絶対にないと。いや、絶対は言いすぎた。絶対に→殆どに変換してください。よろしくお願いいたします。
 何故そんなに強く否定することができるのか。そも、右に述べた本を選ぶ理由は目的がはっきりしている。この話題の本を買うぞ!という明白な理由を引っ提げて本屋さんに向かうのだ。目的をぶら下げている限り、目的以外の行動を取ることは難しい。目当ての本を買ってスタコラと帰るばかりだ。しかし、そのスタコラの難しさを乗り越えるほどのいい本。つまり、低層がいい本、むっさ美人か、むっさイケメンかの本に出会うと、その気持も揺らいで本来の目的を忘れる。なぜ僕は内容重視の本でなく、装丁がキラリと光る本を選んだのであろうか。
 装丁、言ってしまえば本の外見である。その装丁が良ければ良い程、僕はこの本を買ってよかったなと思う。人間は外見が第一印象なんですよ!と様々な界隈で聞いたことがあるが、これは容姿が整っておればそれなりに信頼できるのではないか、つまり、あの人は毎日挨拶していたのに犯罪を犯すなんて…みたいな言説につながる。外面が良ければ何かしら良い印象を与える、そういう事伝えたいのであるからしてかしこ。
 実際において装丁が良い本はどうであろうか。最近の本で言えば、朝井リョウの『正欲』の装丁がダントツで良かったと思う。内容に関してはピンとこなかったので再度読み返すつもりであるが、青い空間から鴨が墜落していく様子の表紙は、いつ見ても強烈な印象を与える。深藍のバックに鮮やかな鴨が描かれた表紙、それを観るだけで何となく手に取ってみたくなる気持ちがむくむくと湧き上がる。
 世間にはジャケ買いという、ジャケットのアートワークが良いと思えばアーティストの方向性を無視して購入するという、狂った行いがあるのだが『正欲』に関しては完全にジャケ買いだったと思う。本来の目的の書である『テスカトリポカ 佐藤究著』と一緒に買ったことが証左であるからして(こちらも装丁がかなり最高)。
 本は内容で勝負と聞くところではあるが、そもそも手に取ってもらえるような外見がなければ難しいのではないという、マジにうるっせ〜話のまま締めて候。

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