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『ナ・バ・テア』と浪人時代

 心身で言うところの心が大変にどんよりしていた週間であったので酒は飲むは、坂本慎太郎のライブは何か行けないという曖昧な理由ですっぽかすわ、大変な時間だった。今日はなんだか調子が良くなり酒を飲まずに済んでいる。大変嬉しいことである。
 なんだか気分が良くなったついでに、本棚を整理したところ奥の奥そこから森博嗣の『ナ・バ・テア』が出てきた。友人に貸して回収したまでは良いが、長らく車に放置。長期間紫外線に責められた表紙はすっかり橙の色を無くし、セピア写真のような味わいに。新品で買った記憶があるのだが、時を経てすっかり古本の様相を待とうようになっているなと思う。
 押井守の『スカイ・クロラ』を観てものすごく感動を覚え、次の日に原作である『ナ・バ・テア』を含む『スカイ・クロラ』シリーズを全て買いに走った記憶がある。当時は大学受験に失敗し浪人が決定した時期だったが、そんなこと関係なく本屋へと突っ走った。6冊ほどの文庫本を抱え家に帰ると、予備校に行っていたと思っていた父親に見つかりふざけるなと殴られた。多分、これが親に殴られた最後の記憶である。
 『スカイ・クロラ』シリーズは期待以上に面白かった。押井守版と原作では大分内容が違うというのも驚いたが、森博嗣の地の文における平淡な文章が特に好きだった。これより前にも小説は読んではいたが、森のような味気はないがじんわりと味が感じる文章に出会ったことが無かったのでかなり衝撃を受けた。お陰で、買ったその日の内に『ダウン・ツ・ヘヴン』まで読み終え、次の日には全てを読んだ。序でに、『スカイ・クロラ』の二周目に入った。もちろんのことだが、受験勉強など一ミリも行わなかった。
 これが初めての文学的な体験で合ったと思う。これははっきりと思い出すことができる。先程までの多分を多用していたのは、十年以上前の記憶なのでもうあやふやになっているからだ。衝撃の体験とは言えども、時間が経てば記憶には霞がかかる。しかし、この森博嗣の体験だけがしっかりと脳裏に焼き付いて今も鮮明に思い出せる。なぜなら、『ナ・バ・テア』を開くと、なぜこれを面白く感じたのかを懸命に考えている筆跡が残っているから。
 子供は子供なりに知識を集約させて面白さを理解しようとする。文学的な知識を砂粒ほども有していなかったので、面白く感じる!とか、ここでなんか気持ちよく感じる!なぜ!とか拙い書き込みばかりが並んでいる。微笑ましいが、解説のよしもとばななを丸をで囲って誰?!と書いているのはどうかと思う。高校卒業した年齢にもなっているんだからよしもとばななぐらいは知っとけよ。
 ノスタルジーに浸りながら『ナ・バ・テア』の数頁を読んでみると魔力に引きこまれ新装版をすぐに買った。また昔みたく時間を忘れて熱中するのだろうか、拙い字で書き込みを行うのだろうか、よしもとばななを知っている今の僕にはどう写るのか少し楽しみになってきた。

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