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SFマガジン『特別対談 宇多田ヒカル✕小川哲』と言葉の紡ぎ方について

 SFマガジン 6月号に掲載している宇多田ヒカル✕小川哲の対談がとても良かった。

 noteで無料公開していた文章を読んでいたのだが、尻切れ蜻蛉的な感じで締めていたのでこれはきっと続きがあるのに違いないと睨み購入したのだが、無料公開している分がそっくりそのまま掲載していた。何たることか、何たる確認不足。まんまと販促行為にしてやられたということだ。他の項目を特に確認していないこのSFマガジンは一体どうすれば。むごご。
 それはさておき、対談内容がとても良かったことは事実である。最近リリースされた宇多田ヒカルのベストアルバム『SCIENCE FICTION』の内容を軸として、宇多田・小川がSFについて、自身のキャリアについて、自身の思想について対話するという、盛りだくさんの内容になっている。この対談の中でも良かったと思った点は、小説・歌詞などの言葉を紡ぐ際に使用している手法について語っている所だ。
 宇多田・小川曰く、自身のエピソードを基にしてそれぞれ創作にあたっているという。自身のエピソードを基にしていることは事実なのだが、そのエピソードというのは一度分解して、その分解したエピソードに創作の出来事や実際の出来事、つまり虚実を入り混ぜて言葉を紡ぎ貸家小説に落とし込んでいるというのだ。なので、歌詞や小説にあるエピソードは事実なのかどうかと問われると返答にこまるというエピソードも添えられている。
 この言葉の紡ぎ方というのが僕にとっては大変に目から鱗なものだった。なぜか。自分以外の人間がどうやって言葉を紡いでいるのかを知らなかったからだ。大げさな言い方かも知れないが、初めて自分以外の手法を知った。それ故に、大変興味を持って対談を読むことができた。
 そもそもとして、自分以外の人間がどうやって言葉を紡いでいのかを知る機会はかなり少ないと思う。もちろん、世間には文章の書き方というメソッドを紹介している書籍やセミナーなどが存在している。それらを吸収し自身の糧とすれば今以上に上手い文章を書けるようになるかもしれない。しかしながら、それらメソッドというのは画一化されたプロダクトデザイン、つまり商品と同じようなもので不特定多数が消費するということを前提としている。僕が言いたいのは、消費を前提としたメソッドではなく自分以外の人間に適用しない手法を知る機会がほとんどないということだ。今回は宇多田・小川の対談で偶然に知ることができたので、かなり幸運と思う。
 そんな満足度の高い対談を読み終え、この文章を書き終えたところで思うことになるだろう。あと何百頁もあるSFマガジンをどうすればいいのだろうかと。満足度は高かったとは言えどもだ、興味のある質量に比べてあまりにも多すぎる。これから三体をすべて読み尽くしてNetflixのドラマも観るべきだろうか。

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