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なぜ酒を飲むのか

  何故酒を飲むのか、について考えてみる。
  酒を飲む理由なんて作ろうと思えば、椀から溢れるほど作ることができる。今日は友人と合って嬉しい気持ちになるから、なんか仕事で失敗して憂さ晴らしがしたいから、一世一代の勝負前に気合を入れたいから。今適当に考えただけで三つも出てきた。酒は脳をバグらせ現実を曖昧にする効果がある嗜好品故に、酒を飲む理由を作るには常に喜怒哀楽を隣で歩かせなければならない。そのぐらい酒を飲むという行為は、普段の生活において一線を画した行為になる。
  では、喜怒哀楽も口実も無いのに酒を飲むことはどうなのだろうか。最近の僕は特に口実もなく酒を飲んでいる。酒を飲まないとやってられね!とか、酒に沈んでいるのは社会がおかしいクソとか、不満や怒りの口実で酒を飲んでいるのではなく、今日の拙者特に何もしてないけどお疲れ!酒飲も。という磯部磯兵衛みたいな感覚で酒を飲んでいる。これはどういう感情なのだろうか。そこが不思議に思い、何故酒を飲んでいるのかという疑問に至ったのだ。
  一つ思い浮かべることは、酒を飲みたいから飲むのである。酒を飲みたいと思う気持ち、これを欲望と定義づけてみよう。欲望と定義づけることで、酒を飲む行為は「酒を飲んでいる状態になればいいのに」という気持ちを実現することになる。これであれば、酒を飲みたいから飲むという気持ちを明言していると思う。しかし、右に述べた「今日の拙者特に何もしてないけどお疲れ!酒飲も。」の中に、「酒を飲んでいる状態になればいいのに」という気持ちは存在しているのだろうか。本当に「酒飲も。」の中に、そんな複雑な感情が存在してるのだろうか。いや、していない気がする。もっと阿呆な感情で酒を飲んでいる気がする。欲望という強めの言葉ではない気がする。なら、もっと別の言葉で再度定義づけをしてみる。
  欲求ではどうだろうか。欲求であれば「これがしたい」や「あれがほしい」という求める気持ち、心理的な飢えを解消するための行動原理として酒を飲む行為を見ることができそうだ。しかし、右にも述べた「今日の拙者特に何もしてないけどお疲れ!酒飲も。」の中に、飢えを解消したい気持ちはあるのだろうか。確かに、酒を飲みたいという気持ちはある。しかし、「特に何もしてない」の中に飢えのような渇きはあるのだろうか。無いと思う。川が山の上から流れていつしか大海原に流れ出るように、葉が幹から離れ地面に落ち分解され養分として消化されるように、ごく自然な流れで酒を飲んでいる。このなかに欲求という言葉は当てはまるのだろうか。当てはまらない気がする。
  ならどの言葉が最適なのかと、ぐるぐる考えてみても適切な言葉が思い浮かばない。感情に関わる言葉でなにも定義づけができないのであれば、酒を飲むことは感情の外にある行為、自然現象の一つだと思うしか無いのだろうか。であれば、植物が水を吸って生育する事と同じで、何も感情を持つこともなく酒を飲むを飲んでいるのだろう。そう考えるしか無い。酒を飲むということは、自然現象の一つ。これで一つ手を打つ。して、「酒飲も。」の正体が本当は怠惰であること人関しては目を瞑るとするが。

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