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湯浴み

 なんにも用事はないけれど、散歩がてら銭湯に行こうと思つた。と書くと、船灯に何も用事がないとは此は如何にという話になる。船灯というのは湯浴みをし身体を休め一服する場所であって、それを全く無視してなんにも用事がないけれどとはどういうことだろうか。かっこつけであろうか。見栄っ張りであろうか。自分に酔っているのであろうか。全くもってそうである。
 して、沖縄に銭湯だが、これがなんと存在している。しかも、僕が住んでいる町からそう遠くはない徒歩30分の場所に。それは遠くないだろうかという邪推は横に置き、以前からそこに行きたいな行きたいなと考えていた。いたのだが、願うパワー、行きたい欲望というのがいまいち弱かったのだろうか、行けるタイミングを掴むことができずに本日までズルズルと引きずってしまっていたのだ。そして本日も行かなかった。なぜか。仕事であったからである。なので明日行くつもりだ。ルンルンスキップで。
 そも、沖縄の人間というのは風呂にあまり入らない。いや、風呂に入らないと書いてしまうと、本当に不潔の中に住んでいるようなイメージを与えてしまうので訂正しよう。湯船にあまり入らない。大概、シャワーで洗体を行いそれで終わりだ。湯船に湯を張ってそこに浸かるなどめったにしない。その理由として挙げられるのは、気温にある。
 本土の気温は一桁になる事もあれば、雪だって轟轟に降ることもあるだろう。しかし、沖縄はそんなことがなく、2月中盤で26℃とかいう初夏ばりの気温になったりするし、ジュクジュクと湿度が過分に漂っている。つか、昨日は冷房つけて仕事していたし。気候の問題のせいで、肌の調子を整えるとか身体の芯を温める為に湯浴みをするという必要が無い。はっきり言うと、湯をかぶると熱くて熱くてたまらないのだ。充二分に暑い空間にいながら、熱い湯を浴びるというのはよくわからない。なぜ暑さという苦に自ら飛び込まなければならないのか。そして他にも理由があり、水の硬度の問題とか光熱費などの問題もある。硬水に長く浸かれば肌の調子も悪くなるだろうし、施設などの問題から光熱費も安定しない。そういった現実的な様々が理由が絡みに絡んで雁字搦めとなり、風呂はシャワーだけでいいだろうという結論に至るのだ。しかーし、実際の湯船の利用しない理由を調べてみると「湯をはるのがめんどくさいから」という、なんとも精神的で”らしい”理由がトップを独創していたことは胸のうちに秘めておくとしよう。
 というわけで、始めっから湯が張ってある銭湯に行くことが楽しみで仕方がない。水風呂はあるのだろうかとか湯から上がった後の扇風機に当たりたいとか、上がった後に酒はのめるのだろうかとか、楽しみになることが多すぎる。ぐふふふふ。


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