3/14 音声入力使い始めたら退屈な部分が増えた
悩むことの価値
最近悩むこと悩んでることを言語化することで誰かの作ったできるんだよつけるのであれば同じように思ってるのとか自分が言語化できてない状態であればできることによって使われる可能性がある
こんちゃ〜第一印象で判断する人間です
匿名通話アプリが結構好きなのだが、私はマッチして一言目で合う合わないを判断してしまう
これによってその後の会話のモチベーションが著しく落ちてしまう
おそらくこのモチベーションが下がったことで本来仲良くなる可能性があった人ともなくなるとないんじゃないかなと思う反面、このフィーリングをやはり信用しちゃっている
その後、話してみたらやっぱり自分と合わないなあみたいなことはよく思うけど、気の持ちようなのか本当にそうなのかはわからない
よく頭のいい人っていうの自分を客観的に見る能力が高いって言うけど、この件で完全に主観でしか判断できてないのでやはり私は頭良くないんだなぁと思ってる
私ってそんなもんなんだなぁ
音声入力で記事作り
記事の作り方ってタイトルの記事を読んでいたら、まず音声入力である程度下地を作ってそこを編集して執筆する手法を知った
実際にやっているこれは結構良いもので、文章だときれいにすることを意識しすぎて、なにを話ししたいかっていうのが分かんなくなる反面、しゃべるってなるとある程度まとまってなくてもゴールには向かっていくのでこのスタイルは自分に合っていそう
もともとラジオ撮りたかったり雑談が好きだったけど、1人でやるのはなかなか難しいからnoteを始めた
日記とラジオの中間くらいが自分にはあっている
YouTubeに超飽きた
なんとなくYouTubeに飽きてしまった
普段、YouTubeでお笑いやゲーム実況、企画系YouTuberを見てたんだけど、なんかふと飽きたなぁって言う感情がすごい前に出てきて、その動画が面白い面白くないとか関係なく飽きたなぁって思っている
それは精神的な病気に結びつくのかなあと思って、Google検索かけてみたら村上春樹の名言が出てきた
『世の中退屈でないものにはすぐ飽きるし、飽きないものはある程度退屈だ』
これは不完全性みたいなものに意味を魅力を理解することは、お金儲けてるコンテンツにはめっちゃ使われてそう(YouTubeとかね)
筋トレとかもすごい頑張ろうみたいな風に思ってるとなかなかきついけど、たまーにやりたいときやるなら続けられるみたいな、モチベーションの持ち方みたいな話にもつながるのかなあって思った
ちょっとこれは違うね
継続力の話であればそこまでズレてないんだろうけど、筋トレとかはモチベーションの話で、退屈の話では興味の話
でも、モチベーションと興味ってどんな違いがあるのだろう
モチベーションはやりたいって気持ちで、興味もやりたいって気持ちならそこまでズレてもないのかも
まぁ、話を戻すと私の中でYouTubeは、ある程度退屈ハードルすらも達成することができなくなってしまったのかなあって
それは成長したってこと?
ヤッター^^ ^^
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