当て馬って何であんなかっこいいんだ

幼き頃は漫画を買うことを禁止されていたわたしだが、大人になれば漫画なんて買い放題読み放題。そう、今のわたしの娯楽は少女漫画だ。朝マスクの浸透を待つ1分で漫画の広告を流し、通勤電車で漫画を読み、にやけを必死に抑えるという日々を送っている。少女漫画の何が素晴らしいって、最終的に幸せが確約されていることだ。1話か2話くらいに出てきた男となんだかんだ絶対くっつく、という安心感があるから、鬱展開でも読むことができる。

それはそうとして、当て馬って何であんなにかっこいいんだ。当て馬がかっこよすぎて、たまに主人公の女の子にイライラする時がある。なぜ!こんなにも自分を想ってくれる!かっこいい男がいるのに!のらりくらりとしているろくでもねぇ男を好む?!みたいな。

少女漫画好きだけど、当て馬だけが報われないのが本当に泣けてくる。思い返せばわたしの当て馬大好き人生の始まりは「ストロボ・エッジ」の安堂だった。チャラくて細くてへにゃへにゃなのに、主人公の女の子が好きになった途端一途になって、振り向かせようと奮闘するあの感じ。あいつ当て馬界のプリンスだろ。「crazy for you」の当て馬赤星はスピンオフで幸せになってたけど、安堂はどうなんだよ?だったらわたしが付き合うぞ?オ?とかいう気持ち悪い思考になってしまう。

少女漫画でいろんなヒーローを見てきたが、やっぱり俺様系は自分に合わない。何?お前ごときが偉そうに何?少し顔が良いからって調子に乗んなよ!ペッッッッ!!!!(唾を吐くな)となる。わたしはシンプルに愛してくれる優しい人が良い。俺様系ヒーローの漫画も読むけど、「未熟な高校生なのね、ハイハイ」と見守るババアの視点になってしまうので、純粋にドキドキすることは不可能だ。

なんと当て馬に本物の俺様は存在しない。当たり前だ。主人公を振り向かせようと頑張るキャラなのに、余裕ぶっこいてオラオラしてたら絶望の結果になるからだ。当て馬の良さはまさにそこ。顔のかっこよさに甘んじないで、いつでも必死でまっすぐなところ。わたしが主人公だったら間違いなく当て馬に靡く。

でも当て馬に惹かれるのは、絶対に報われないという不幸属性も要因のひとつかもしれない。当て馬は登場した時点で不幸が確定しているという、もうかわいそうでしかない存在なのだ。結局主人公は当て馬の方に行かないから、「当て馬の良さを知ってるのはわたしだけ!」という読者が爆誕する。まさにわたしみたいな奴だ。当て馬の良さを知ってるのはわたしだけ、って感覚は本当に罪でしかない。

でもわたしじゃ当て馬を幸せにできない、嗚呼。通勤電車で平静を装いながら、心はぐりんぐりん横転しまくっている。作者さん、どうか当て馬のことを忘れないで、必ずどこかで良い感じに幸せにしてやってください。

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