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子ども部屋おじさんの堕落論

凄まじく調子が悪い。


絵も描けない。漫画も描けない。部屋整理兼古物売却も出来ない。体が鉛のように重い。


こういうとき「自分なんで生きてるんやろか」とか漠然と希死念慮に近いものが襲ってくるが、仏教だかの「んなもんはない。人生は暇つぶしにやるゲームのようなもの」という教えが何とか追い払っている。


人生は暇つぶしにやるゲームのようなもので我々はそれに何かの意味を求めようとするが結局何の意味もない。何かの意味を見出そうとある者は財を成そうとしたり地位や名誉を求めたりするが死ねばそれら全ては持って行くことは出来ない。ほんましょうもないゲームを我々はやっている。


要約するとこう。


なるほど、正当性は兎にも角にも上手いことを考える。


今の私は鬱病も具合が良かったり悪かったりで安定しない病状だから週1の非常勤勤務+部屋の古物をメルカリで売ることで最低限の生計を立てている。


言わば底辺子ども部屋おじさんだ。


事情を話せば「いい歳したオッサンが恥ずかしくないのか」「生活面も精神面も自立しろ」と周りは煩いが「一応は世帯主であり重度の鬱病のときに母親には世話になったから何があっても看取るまでは家は守る。それが子ども部屋おじさんと言うなら別にそれは構わない」という屁理屈は返せる。


周囲に何を言われようが関係ない。

所詮は死ぬまでに暇つぶしに遊ぶゲームだ。


ただクソゲーとは言えども1回しか遊べないゲームときている。ゲームオーバーになるまで遊ばないと勿体ない。


そんな私のような貧乏性の人間が集まって地球は今日も回っている。

著・社会不適合うさぎ
2024/06/28

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