妻の褒め方「どう頑張ったか」【ブログ転載記事】

果たして人の一生は、何らかの成果として残るものでしょうか。

何か優れた仕事上の成果を挙げた人生。あるいは目立った業績の無かった人生。二つを比較することなど、できるでしょうか。

確かに業績は上がったほうが良いです。ただ、「誰が」その業績を上げたかはこの世界の摂理のまえでは、取るに足らない問題です。

シャバ夫は基本的に、誰かが業績を上げるのを待っていて、その優れたサービスを楽しんでいきたい。

そうすることで、業績を上げる英傑に貢献したいのです。なぜなら、サービスを楽しむひとがいればこそ、それを求める人がいればこそ、新たなサービスが生まれ続けるのですから。

取るに足らないシャバ夫は妻を愛する

シャバ夫は凡庸です。仕事で高い職域にいるわけもありません、一般兵です。優れた業績を上げたいとは思っていますが、それに見合った頑張りをしているわけでもありません。

ただ、日々の生活を温かい空気で包もうと心掛けていますし、そうなったら良いなと考えています。

考え無しにただ褒めていると、キレられます。

シャバ夫はこう思うのです。身近な妻の機嫌を良くすることで、この世界を温かい空気で満たしてやろう、と。

みんな「褒める」ということは大切だと言います。ただ真に大切なのは「褒め方」です。考え無しに褒めることはむしろ、害悪です。なぜならこのシャバ夫が実際にそうすることによって、妻の機嫌を損ねたからです。

大事なのは具体的な行動です。戦略も大切ですが、現場レベルの戦術もやはり大切なのです。

理論的なことは、巷の本屋さんの書籍に解説を譲るとして、私の今夜の経験を聞いて頂きたい。

「なにを、どんなふうに」頑張ったのか

今日、妻には苦労があったらしい。

母にスマホを替えたい、と相談されたらしく、その対応に苦労したそうです。

母は60代であり、電子機器に疎い。そして妻はiOSユーザーだが、母はandroidユーザーでした。妻は電子機器に詳しいとはいえ、普段使いでないOSの説明に骨を折るのも無理はありません。

妻:「詳しくない人相手に、自分が理解していないことを説明したから苦労したよ」

「自分が理解していないということは、それは説明になっていないのでは?矛盾している」ふとそう思ったが、その瞬間、シャバ夫の脳内がスパークした。

「共感だ!彼女は今共感を求めている!」なぜかそう閃いた。

シャバ夫「自分が理解していないことを説明したんや、それは大変やったね。ただでさえお義母さんは不慣れなのに、なおさらがんばったね」

2秒程度の沈黙があったろうか。かたわらの幼い我が子は、自分の世界に入って遊んでいた。

妻「それだよ!良い返事やね。これこそ私の求めてたコミュニケーションや、100点!」

それを聞いて、シャバ夫の心も、世界の空気も、温かく満たされたのでした。

普段の積み重ねが、不意に出てくるんやな~

かつて読んだ二冊、【妻のトリセツ】と【賢い子を育てる夫婦の会話】、そして日ごろの妻との失敗の多いコミュニケーションが、この珠玉の一言を生み出したに違いない。

「相手の立場に立ち、思いやること。」小学生くらいからずっと耳にしてきたこの言葉が、どれほど実践するハードルの高いことか。そして効果があることか。

今回の例でいうと、妻はただ「大変だったね、頑張ったね」と言われても、喜ばなかったでしょう。「何を、どう頑張ったか」これをコメントすることが勝因だったのです。

そしてそのポイントをコメントするためには、相手を思いやることが必要不可欠なのです。

故人曰く、勝って兜の緒を締めよ!

とは言っても明日から100%優れたコミュニケーションができるわけでは無いでしょう。

しかしながら今日の出来事をきっかけに、少しずつでも打率をあげていきたい。

こんな風に世界を温かく満たすこと、世界を優しくすることが、僕なりの業績なのかもな~

どうかあなたがシャバさと共にあらんことを。

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