人間の叡智は広くて深い〜キプロス・エジプト旅行記:気づき編①〜
僕は人間の可能性を舐めていた
キプロス・エジプト旅を終えて日本に帰る飛行機の中で、旅を通して見聞きしたことを振り返りながら一番最初に思ったことがこれだった。
舐めていたというよりは、人間にはすごい可能性があるとは思っていながら、その可能性を信じきれていなかったというニュアンスの方が近いかもしれない。
この旅の中で触れてきた数々の遺跡、神殿、ピラミッド、ミイラなどは、どれもが今から2000年〜5000年ほど前のもの。そしてこれらは数千年の時を超えた今でも、多くの人を魅了している。最新のAIや医療など、人間の進歩を感じる瞬間は日常の中にもたくさんあるが、その最新のものたちに劣らない技術力やこだわり、そして人間の執念を見た。
人間の叡智は広くて深い
ここ最近(といっても300年くらい?)の文明の進歩は産業革命以降、目に見える現実世界の効率化の方面で強く発展したと思うのだが、今回の旅で触れたものはそれとはまた違った方向で進化した文明のように感じた。特に神様や魂といった見えない世界への憧れ、敬意のようなものを強く感じた。
うまく言葉にはできないんだけど、人間の叡智は僕が思っている以上に広く深いものだった。
特にこれを強く感じたのはエジプトだった。
最大で10トン近くの石を機械がない時代に積み上げ、中に迷路や隠し部屋まで備えられているピラミッド。数千年経っても腐敗しないミイラ。加工が難しかったであろう「金」の豪華な飾り物や細工。どれもが今作ろうと思っても大変そうなものばかり。
儀式や文化についてもそう感じた。祈り・願いを神様や後世の人々に届ける美しい一つの流れがあり、生活の知恵を広める言葉だって数千年前にすでに存在していた。死後の世界に対する創造性や想像力もとてつもない。
願いの方向性に沿ったものを生み出す叡智を持っている
今の時代のように、効率化を追求するなら効率化の方向に新たなものを生み出せるし、今回の旅で見たものたちのように、精神性を追求するなら精神性を高める仕組みや文化を生み出せる。
生み出すものの方向性は違えど、生み出したいと願ったものを生み出してしまう人間の叡智は、数千年間変わらず僕たちの根底に流れ続けているという気づきがあった。
「人間は叡智を持っている」なんてことは知っているつもりだったが、僕が知っていたのは、ほんの表層部分だけだったようだ。
人間の叡智は広くて深く終わりがない。ということを心の奥深く、もっと言えば、僕自身の存在そのものとして、魂として理解したというような感覚すらある。
誰にでも無限の可能性がある
すごく月並みな言葉だが、誰にでも無限の可能性があるということを、身を持って体感した。
だから、みんな願えばいい。願ったことに向かって粛々と取り組めばいい。「できない」「不可能」は幻想。今、この瞬間には存在しないかもしれないし、なんなら生きてる間にも見れないかもしれないけど、願ったことを実現させていくだけの底力、念力のようなものが人間には備わっているのだ。
この体感を得て僕が変えていくことは、人との関わり方
今までも人の可能性を信じて関わっていたつもりだけど、それじゃ甘い。誰にでも深い叡智が備わっていると信じて、その人そのものの存在や魂から来る願いを現実にできると信じる。
スキルやテクニックといったものも、願いを具現化する上では大事なものだが、それよりももっと深い叡智がある。その叡智を使って人と関わる。その叡智を使って現実をつくっていく。
自分の可能性を自分で低く見積もらない。僕の目の前に来る人の可能性にも制限をかけない。相手自身が低く見積もっていたとしてもそんなのは無視して勝手に可能性を信じることにする。
この前提で関わることで何がどう変わっていくかは分からないが、今までとは違う現実が現れてくるだろう。
書きながら思ったこと
飛行機の中ではメモ書き程度でいろんなことを書いてたのだが、改めてこうやって言語化してみて、ため息が出た。自分のちっぽけさに打ちひしがれるような感覚を覚えたから。
せっかく人間という種族に生まれてきて、深い叡智を持っているはずなのに、それを使って生きてこなかったことに少しがっかりしたのだ。
ただ、裏を返せばこの世界にはまだまだ可能性があるし、自分にはまだまだ可能性があると思えたことは大きな収穫。
我欲にまみれないように気をつけながら、僕という存在に備わった深い叡智を使って、この世界をもっと楽しんでいこうと思います。
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