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刺さる言葉と刺さらない言葉

同じ言葉でも心に刺さる言葉と刺さらない言葉がある。

例えば「愛が何よりも大事だ」とか「成功には失敗がつきものではある」とか「感謝しよう」とかそれっぽい名言らしきものがあるが、誰が言っているかで心への刺さり方にエゲツナイ違いが生まれる。

この刺さる・刺さらないの違いはどこから生まれるのか、そして、どうすれば刺さる言葉を話せるようになるのかを考えてみた。

自分の言葉か借り物の言葉か

自分の言葉とは、体感が伴った言葉のことだ。

知識として得た、人から聞いた、学んだとかではなく、肉体を通じて体感することで言葉は自分のものになっていく。

体感によって言葉に質量が伴い、刺さる言葉になっていく。

逆に、刺さらない言葉は借り物の言葉である。

借り物の言葉とは、学んだことの横流し、体感が伴わないもの、自分にとってしっくりこないもののことだ。

例えば、美しいから、かっこいいから、頭良さそうに見えそうだから、イケてる感じに見えそうだからという理由で、自分にとってしっくりこない言葉を使ってしまうとその言葉は相手に刺さらない。

自分の言葉と借り物の言葉の違いは、全身・全存在から発せられた言葉か、思考から発せられた言葉かの違いとも言えそうだ。

自分の言葉で語れるものを語ればいい

じゃあ、体験を増やさないと刺さる言葉が話せるようにならないのか?というと、基本的にはそうだと思う。たくさんの経験を積まれたご年配の方のお話が心に深ーく染み入ったりするのは、経験の質と量に裏付けられた言葉が多いからではないだろうか。

じゃあ、年齢も経験も重ねていない内は刺さる言葉が話せないか?と言えばそうとも言えない。

その人ならではの、今だからこそ語れることが誰にでもあるはずだ。

頭で知っているとか学んだとかではなく、今、最も強く感じている感情や感覚には体感が伴うので、ある程度は刺さる言葉になる。

例えば僕の場合、普段のnoteはいいね数1桁のことが多いが、先月書いたこちらの記事は50件以上の反応をもらった。

また、この記事をきっかけに、新たな人との出会いやお久しぶりの方との再会が4件ほどあった。そして、その出会いが僕を新しい世界、新しい流れに導いてくれている。本当に面白いくらい綺麗に流れている。

その時に感じていたリアルな心情をそのまま吐き出したからこその結果だと思っている。

刺さる言葉と言えば、話し方や書き方のテクニックも大事かもしれないが、テクニックは言葉の力を拡張するサポートツールのようなものでしかない。また、ボキャブラリーが足りないという嘆きもよく聞くが、ボキャブラリーがなくても質量があれば言葉は刺さる。

刺さる言葉を言おうとするのではなく、今、自分が感じていることを全力でアウトプットすることが刺さる言葉を生み出す秘訣なのかもしれない。

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