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力まずに力を使う合氣道を体験してきた

先日、合氣道を部分的に体験させてもらった。

僕のセッションの先生であり、お仕事もご一緒させていただいてる竹屋けんせいさんが長年取り組まれてることで、セッション提供者としても大いに役立つとの話を受けて体験させてもらった。

合氣道と言えば、仙人みたいな細身のお爺さんが大男をひょひょいのひょーいと投げ飛ばしてるみたいなイメージくらいしかなく、何をやるかは全く知らない状態でスタート。

すごかった。マジですごかった。

頭で考えて意図的に使う力がいかにへぼいかを痛感する出来事になった。

全力で腕を押さえられた状態から、物理的な力ではなく意識の力で抜け出せたり、どう考えても持ち上がらなさそうな力をかけられた上でも軽々と持ち上げられたりとなかなかに面白い体験だった。

今回のケースがそうだっただけかもしれないが、筋肉を意図的に使おうとする物理的な力よりも意識の力の方がより大きな力を発揮することを強く実感できた。

気合を入れたのに、空回りしてしまった経験ありますよね?

よしやるぞ!と思っても集中力が続かなかったり、これは一世一代の大勝負だ!と思って気合を入れて望んだけど、思った結果が出ず空回りしてしまった経験は誰もが一つ二つ持っているだろう。

空回りの大きな要因の1つに「力み」がある。

「力み」が必要な場面もあるけど、結構デメリットが大きい。

物理的には、体が固まってしまって可動域が狭くなったり、呼吸が浅くなったりして、力を発揮しづらくなる。精神的には、視野が狭くなってしまったり、プレッシャーを感じすぎたりして、力を発揮しづらくなる。

「力み」によって、思ったような結果が出せないことはよくある話だと思う。

この話をした理由は、今回、合氣道で体感した概念が「力み」と対極にある「脱力」や「自然体」だと感じたから。

意図的に力を使おうとすると力んでしまい、本来持っているパフォーマンスを発揮できない。それに対して、脱力した状態で意識の力を使えば、本来持っているパフォーマンスを発揮できる。

力むと力を使えない
力まず脱力していれば力を使える

とも言えそうだ。

一見矛盾しているようにも思う言葉だが、現実世界でもこのようなことはとても多いと思う。

目標達成、願望実現などは特にそうだと思う。

力みすぎるとうまくいかなくなることが多い。対して、無理なく自然体で自分のやるべきことをやっていれば自然と達成されたり、叶ってしまったりすることがよくある。

力みすぎるとうまくいかなくなるのは、自分のやり方に固執してしまうからだと思っている。

本来は自然の摂理、宇宙の真理、人体の構造的にうまくいく型や流れがあるにもかかわらず、力むことでこの自然や構造の力を使えなくなってしまうからだ。

気合や根性で頑張ることも大事だけど、本当に自分のパフォーマンスを発揮したいなら、自分のやり方に固執せず、自然の流れや真理、物事の構造に身を委ねた方がスムーズにいく。

この10年くらいで、自然体が大事、脱力、ゆるむ、リラックスなんて言葉を目にすることが増えていて、頭では重々理解していたが、合氣道を体験してみて理解レベルがグッと上がったと思う。

自然の力、構造の力を使う体験ができるという意味でとてもとてもよい体験だった。

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