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誰かにとってのすごい人は、他の誰かにとってのクソ野郎

「あの人って人間力高いよね」「あの人ってすごい人だよね」といったやり取りをした経験、多くの方がお持ちだと思います。

これが何気ない日常会話だったらいいんですが、残念な話も耳にします。講座やコンサルティング、メンター、スピリチュアルリーダー的な人から「あなたは徳が足りない」「人間力が低い」「あなたは低次元の周波数を発している」などと言われて傷ついたってこと。

個人でも教える仕事、伝える仕事が簡単にできるようになったからか、このような話を聞く機会も増えました。


「高い・低い」「ある・ない」で評価するコミュニケーションってどうなの?

「コミュニケーション=相手のことを想い、心を尽くすこと」だと僕は考えてるんですが、「高い・低い」「ある・ない」といったコミュニケーションって相手のことを想えていない典型例だと思うんです。

・スキルが高い・低い
・実績が多い・少ない
・行動量が多い、少ない
などなら、ある程度言語化できたり、論理的に説明できるので、使うのも分かるんですが、徳とか人間力とか次元とかって何やねんって話です。

特に、尊敬する人やメンターと慕う人から「人間力が低い」「次元が低い」「徳が足りない」などのことを言われたら、普通に面食らいますよね。自分はダメな人間なんじゃないかと勘繰ってしまったり、自己嫌悪が強まったりと、心に傷がつきます。

この記事では、人間力が高い・低い、徳がある・ないとかそういった「高い・低い」「ある・ない」という概念の正体に触れつつ、このような言葉で傷つく人が減ればいいなと思って本文を書き進めます。

誰かにとってのすごい人は他の誰かにとってのクソ野郎

これで全て説明がつくと思ってるんですが、もう少し詳しく説明します。

あなたとあなたの仲のいいAさんとBさん、そして、あなたの知らないXさんという人間がいるとします。

AさんはXさんのことを大尊敬していて、「あんなに人間力がすごくて素晴らしい人はいない」と言っています。

BさんはXさんのことが大嫌いで、「あんなクズはなかなかこの世に見当たらない」と言ってます。

このような状況で、あなたが「Xさんはどんな人だと思いますか?」と聞かれたら、なかなかイメージできませんよね。会ってみないと分からないって感想になると思います。

賛否両論分かれるのが人間

人の好き嫌いって、その人の価値観で決まることなので、誰かがコントロールできるものではありません。特定の誰かに対する印象も、意見が分かれるのが普通です。

芸人の江頭2:50さんはその典型例かと思います。2002年から9年連続嫌いな芸人ランキングNo.1を獲得した彼は、2020年にYouTubeチャンネルをスタートすると、日本人の個人アカウントとして登録者数100万人を最速の開始9日間で達成したとのこと。

テレビの世界では下品・人前に出してはいけない人として受け入れられにくかった彼も、インターネットの世界では大いに受け入れられたんです。語弊はありますが、テレビの世界ではクソ野郎、インターネットの世界ではすごい人ってところでしょうか。

世界は自分の主観を中心に回っている

結局、どんな人も、自分の主観の世界を生きています。

その世界の中で、「好き・嫌い」とか「人間力が高い・低い」とか「徳がある・ない」とかを判断してるだけです。「私は世界の真理を知っている」的な雰囲気を醸し出す人もいたりしますが、それもその人の世界での話で、世の中全体の話ではありません。その人に影響力があってその概念が世に広く受け入れられているとしても、あなたが生きてる世界とは別の世界の話です。

「あなたの感想ですよね?」と言ってやればいい

なので、「人間力が低い」「次元が低い」「徳が足りない」などと言われても、相手の主観的な尺度から見た意見を言ってるだけであって、あなたが影響を受ける必要はありません。反論すると「謙虚さが足りない」とか「だからあなたはダメなんです」と言われたりしますが、それもその人の世界の中での話。

「あなたの感想ですよね。」で一蹴して終了です。とは言え、直接言うのは無理だと思うので、心の中で唱えてやりましょう。

何を信じてどう生きるかは自分で決めよう

相手の言葉は相手の世界から発せられたものであって、あなたの世界のものではありません。それを自分の世界に取り入れるかどうかは自分で決めるしかないのです。残念ですが、誰かが答えをプレゼントしてくれるなんてことはないですから。

手厳しいと感じるフィードバックをもらった時は、あなたが受け取ると決めたら受け取ればいいし、受け取りたくないならスルーして無視を決め込む。そのくらいの決断ができないと、あらゆる人の言葉に翻弄されて、ただ傷つくばかりです。

相性の問題だから深く関わらなければOK

「好き・嫌い」とか「人間力が高い・低い」とか「徳がある・ない」とか、どれも結局、その人それぞれの主観でしかないってのが僕の見解です。特定の誰かの言葉を心地いいと感じるか心地悪いと感じるかもその人の感覚次第です。

結局は相性の問題なんです。

苦手だと感じたら積極的に距離を置こう

相性がいいと思える人とは近い距離感で関わり、相性がよくないと思うなら、距離を置けばいいんです。無理に近づく必要がない相手に近づいて、傷つく必要はありません。また、反論したり反撃する人もいますが、お互いがお互いを傷つけ合うだけの不毛なやり取りです。そもそも、見てる世界が違うだけなんだから。

もっと思考や感覚を柔軟に

誰かが言った「素直な人は成功する」「謙虚さは大事」「徳を積もう」「次元を上昇させよう」とかに振り回されすぎです。

素直さの定義って?
謙虚さの定義って?
徳を積むって何よ?
次元上昇って何したら上がるん?
って感じじゃないですか?

それを言った誰かさんの感性と自分の感性が一致していて、かつ、自分がその誰かさんの提唱する世界の一員になりたいと思うなら、どんなに厳しいことも言うこと聞けばいいと思います。

でも、そうじゃないなら適当に聞き流してやればいいんです。もっと自分なりに自分の世界の定義を決めて、その通りに生きればいいんです。自分の世界の中のあらゆる定義を自分で決めないから、人に振り回される不自由な生き方・考え方に染まるんです。

誰かにとってのすごい人は他の誰かにとってのクソ野郎

どれだけ客観視してるつもりでも、あなたが見ている世界はあなたの主観です。

自分の主観でしか判断できない世界なんだから、たった数人の意見に振り回されず、もっと自分の声を大事にしてあげてください。これからどう生きるにも、何をするにもあなたが、この世界の主人公ですから。あなたの意志がベースとなってあなたの世界が動くんです。

自分と関係ない世界の雑音に、自分の世界を狂わされるなんてまっぴらですから。

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