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かえしうた

返歌のように、今でも私の言葉にお返事をくれていること、ちゃんと知っています。

きっとあの頃と同じあなたの言葉で、あなたの綴り方で、そこにはきっとちゃんとあなたの声が、息遣いが灯っていること。ちゃんと知っています。

"好きですよ、とても。
えぇ、とても好きです。"

叶うことなら抱きしめたいのです。
もう一度あなたに真っ直ぐな言葉を届けて、しっかりとあの日のお返事をしたいのです。
あの日は少し、強く引き剥がしてしまいましたから。
もう少し待てば治るような治りかけの瘡蓋を、無理やり引き剥がしてしまいましたから。

けれど私はあなたに強くなって欲しかったのかもしれません。傷を治してばかりでは、多少必要なはずの傷もどこにあるか分からなくなってしまいますからね。
だってまた同じところに怪我をしたら辛いでしょう?
(けれど今思えば何度も突き放そうとして、かえってそれが仇になってしまったことがありました。卑怯だけれどここにて謝らせてください。)

私のことは忘れてくれて結構。言葉も顔も声も考えも。けれど1つだけ我儘を言うのなら、強くなって、優しさを弱さで隠さないで、また別の誰かを愛して欲しいのです。
あなたに愛される人はきっと幸せだろうから、あなたの愛した人もきっとあなたを大切にしてくれます。
私はきっと、散った桜に伸ばした手が届かなかっただけの人間ですから。春風に揺られて美しく舞うあなたに、指先を掠めることができたこと、それだけでこんなにも嬉しく思います。ありがとう。
次に本当に愛する人ができた時、その人には沢山の愛を伝えてあげてくださいな。
だってね、愛とは不思議なものなのですよ。不確かなものだからこそ、信じる合えることを確信した時に強くなれるものなのです。

あぁ、そうだ。私は今日、これまでの日々を共にしたあなたに伝えたかったことがあります。
例え100歳まで生きたとしても、101歳目では何があるか分からないのです。人生とはそういうものな気がします。
と。
勿論あなたに過去にお話した通り、人間は簡単には変われない。とある時期がすぎたら脳の学習能力は低下する。辞めたいことにも、新たに始めたいことにもなかなか手が届かなくなるのかも知れません。そう簡単には変われないのかも知れません。けれどもういいのです。学術的な話はやめにしましょう。私たちより少し賢い活字も、数字も、事例も。物事を単純に受け取ることが少しだけ不得意な私たちにとっては、かえって少しだけ難しすぎたのですから。

だからせめて私たちだけの、
いや、あなたの、そしてあなたのこれから愛する人の話をしましょうか。


私たちのハッピーエンドはここに、きっとあるのだと信じています。

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