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医療ドラマに学ぶ支援計画立案アセスメントのテクニック

■医療や福祉・ソーシャルワーク関係スタッフにお勧め医療ドラマ


昨年、よく見ていたテレビドラマと言うと
『祈りのカルテ』です。

なぜか、このドラマを見ていると

「介護計画を立てるプロセスって、これと同じなんだけれどな…」

と思わず、

「実務者研修 難しい‼」

頭を抱える介護職員実務者者研修を受講中の皆さんに

お伝えしたくなる「推し」のドラマでした。

実際に、私が介護の臨床現場や医療の現場で介護福祉士として勤務していた時も

①利用者さんからお話を伺う。

②介護記録に話しの内容を記録。

③介護記録の内容を医師や看護師・リハビリスタッフ・家族と情報共有。

という流れで個別の介護計画立案に携わっていました。

ドラマの中では、研修医である主人公の青年が

①患者さんからお話を伺う。

②診療カルテに話した内容を記録。

③研修医が診療カルテに記載した内容を、研修指導医が治療計画などの立案に当たってアドバイス。

④病名の診断

⑤治療方針を考え、治療。

ざっくりと、こんな流れでした。

もちろん、介護計画の立案とは若干の違いはありましたが

患者さんからの話を総合的に考えて、今後どういった治療をするのか?

とか、治療方針を考えるプロセスは

介護スタッフやケアマネなどのソーシャルワークに関わるスタッフが
利用者さんの支援計画を立案する際の思考のプロセスはあまり変わらないと私は考えます。

■医療ドラマから観るソーシャルワークの視点

~具体的な支援計画の立案もこんな感じです~

現在、介護保険や障害福祉など国の政策的にも

「地域共生社会」

と謳われています。

そのため医師を養成する医学部教育でも

「多様化する社会で生活する人々の暮らし」

を前提に

総合的に患者さんの生活環境を観て治療ができる教育

が行われています。

これが、『祈りのカルテ』のストーリーにも出てきた

いわゆる

「総合診療医」です。

現在、大学病院などでは医師を養成するカリキュラムにも「総合診療医」の育成プログラムが導入されています。

(実際に何年か前にも、某民放局で様々な病院の研修医と研修医の指導医が実在する患者さんの症例を問診場面の映像で観察。そして、診断を下すプロセスが放送されていた時期があります。)

ところで、昨年にドラマ『Dr.コトー診療所』が再放送されていたましたが見ていた方はいませんか?
これも地域医療や在宅医療や介護がテーマでした。

私自身もこのドラマのファンでもあります。
中でもこの放送回は忘れません。

2003年度に放送された回でしたが、特にこの回は印象的でした。

村の診療所にある日、年配の女性患者が運ばれてきました。
怪我で足を負傷。
怪我の症状は重く
今すぐ足を切断しないと命を落とすレベルの症状でした。
ストーリー設定として
たまたま東京の大学病院に勤務されているコトー先生のお知り合いの女医さんが診療所にいたのですが、そのドクターは

「脚の切断」

というジャッジを下します。

一方、普段から村の在宅診療も併行して行っていたコトーDr.は

「脚の温存治療」

ジャッジを下します。

最終的には、コトーDr.の治療法を選択して手術が行われます。
なぜなら、村の環境と言えば

⑴『坂のアップダウンが厳しい地域特性であること』

このことが

「患者さんのQOL(生活の質)と生活環境」

が密接に関係していたからです。

⑴仮に、命は取り留めたとして脚を切断
となれば


「車椅子」や「義足の生活」になる可能性があること。
そのため、地域で暮らすことが今後は難しいことが予想されること。

⑵退院後にも本土の病院へ治療が考えられることとして

●患者さんを取り巻く生活環境の調整が必要。
●坂の勾配が多くバリアフリーとは程遠い「地域環境」であること。

これらに関しては、どう考えても物理的に時間と経済予算の都合上今すぐどうこうできるレベルではないことが考えられます。

⑶定期通院が考えられることとして

本土の病院に通院。
そのため

通院治療のための課題として「船の乗り継ぎ」だってあります。
「ADLとしての課題」として脚を切断された場合は

「生理学的」だったり
「解剖学的」な視点として

歩行の際の重心移動

だったり

仮に、フェリーで移動にして長時間座っていたとしても
座位の保持などに使われる体幹バランスなどの
諸々な部分での困難が増えることが考えられます。

これにしても、ご本人さんの体力面を考えると

現実的ではないと考えます。

ということで、

ご本人様の「心身機能の課題」や「経済的支援として」交通費や医療費に対する課題など

ここまでのことをとっさに判断を下せる医師は数少ないのではないのかと思います。

これは、地域医療として毎回チャリンコをこいで実際に利用者さんの自宅に訪問診療をしていた賜物以外の何ものでもない判断の結果かとと私は思います。

ドラマとは言えやはり、やはり監督も脚本家もかなり医療についての知識がなければここまでクオリティーが高く、リアルな脚本はできないと思います。

こんな具合に

リハビリ療養がメインの「元老健介護員」や「地域医療スタッフ」だったため、どうもそこらへんのことにも目がいってしまう私でした。

言うまでもありませんが、皆さんもう一度考えてもみてください!
これらのことを総合したら、患者さんがもとの生活に戻るためのハードルは想像以上に高いと思いませんか?

私が島の人間でしたら

コトーDr.にこう言います。

「治りが遅くてもいいから、(慣れ親しんだ)この地域で治療したいです」

と言うことでしょう。

「治りは遅くてもいいから…」

「精神衛生上の安定」

を優先させる

というのが正直なところだと思います。

言うまでもありませんが、このドラマが都会の急性期医療の現場(救急救命)が舞台でしたらストーリーの内容は全く違う展開かもしませんが…

■こんな感じの内容を介護職員実務者研修では学びます


ちょっと専門的な話になりますが、このあたりの話の内容が実務者研修や看護や福祉教育で言うところのICF(国際生活機能分類)の視点であると私は思います。

そういう意味でも、特に介護福祉士になる皆さんやソーシャルワークに関わるスタッフの中で

「ICFって何?」

という方には是非とも色んな意味で見てほしい回でもありますし、なんとなくこの放送回を観ればイメージできるのかと私は思います。

ちょっと、話は前後するかもしれませんがドラマ『祈りのカルテ』でも
患者さんの話しを聴いて、生活環境などのことなどを聞き取り、解剖学的であったり、生理学的な視点や生活パターンなどを分析していった結果

毎回診断結果が決められます。

一方、介護などの福祉の場合は

ケアプラン」「個別支援計画」

と言われて介護計画(支援計画)が立案されます。

しかし、ソーシャルワークも基本はそれと変わらないと私は考えます。

ただやっていることが
医療は「生命を守る」という視点で
福祉の場合は「利用者さんのQOLの向上」という意味で
若干の違いはありす。
もっと専門的に言えば「ケア」と「キュア」の違いです。

しかし、最近の福祉や医療の流れではやはり

「ICF(国際生活機能分類)」

に沿った視点で利用者さんなり患者さんのケアが行われてることが主流になってきています。

■毎日が「意図的な会話」です

実は、私自身介護の臨床現場で仕事をしていた時にはかしこまって、どこかの面談室という環境を設定することはあまりありませんでした。

なぜなら、あらたまってしまうと相手の本音が見えにくいからです。

むしろ、普段の会話で「ポロッと」でたセリフが本音と捉えていました。
そのため、ケア会議などではそのあたりをなるべく他のスタッフにも情報共有し、介護記録にも残していました。

そのため、勤務時間内の毎日が勝負でした。

ポイントは

「普段の会話やちょっとした変化に敏感になる」

これにつきます。

つまり、毎日の日常的な会話も利用者さんの様子観察の立派な仕事であります。

しかし、残念ながらスタッフの中には

「意図的な会話」を

「単なる雑談」

という認識のスタッフも全くゼロとは言えません。


いかに相手に普段の会話を面談の一部と意識させないで、話して頂けるか?」

ということが毎日勝負でした。

■できる指導者の誰もがやっていることの共通点

私自身もついこの前までは大学生でもあったり、職業柄ですが研修に参加して教えを受ける側でもありました。
その中で発見したことは何かと言いますと
人の懐に上手に入ることができるプロ意識が高い先生の多くがやっていたことはこれです。

それは

「ソーシャルワークの現場で駆け出しの頃の失敗談」でした。

ある意味これは

「自己開示」です。

そうすることで、相手も

「この人も同じ人間なんだな」

「それなら、こちらも口を開くとしますか‼」

となるわけです。

人間誰でも

「精神的な安心感」

だったり

「精神的な安全基地」

がなければ話をしようとは思いません。

これは、学校嫌いな子ども時代をすごしてきたり
18年間ソーシャルワークの現場で学んできたりして分かったことでもあります。

このあたりのテクニックは、また次回にでもお伝えしたいと思います。











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