【感想145】シビル・ウォー アメリカ最後の日
めちゃくちゃアメリカを描いていて難しいかもしれないけれど、見て損はない映画。
ロードムービーのような始まり方するけれど、描くのは主要の4人ではなく内戦が終盤を迎えたアメリカ国内の惨状とアメリカ人たちの非情さ。
それにあてられていく記者の4人がどういった末路を辿るのか、内戦はどのような結末を迎えるのかは見てのお楽しみということで。
後々になって一番響いたのはかなり序盤に出てくる街での一幕で、言ってしまえば現実逃避として内戦そのものをないものとして生きている人たちが出てくるところ。
序盤とはいえその街までの道中では銃撃戦に混ざっての仕事をしていたし、その惨状を記録に残すために戦禍の真っ只中であるワシントンD.Cへ向かっている。そんな中で見なけりゃないのと同じ、と言わんばかりの態度をいち個人ではなく集団として行っている惨さは後半に行くにつれてより重くのしかかってきた。
これをより実感させたのがジェシー・プレモンス演じる男が登場するシーン。ただの民間人だろうに、移民に対する仕打ちや態度がわかりやすく過激なものを見せている。
ワシントンD.Cまでの道のりでこのシーンが桁違いに面白さがあるのは間違いないんだけれど、ここを経た後だと上記の街では被差別人種に見られる人が(自分が観測できた範疇では)いなかったりと、あくまで他人事として処理できること自体が特権的な立ち位置なんだという意味も含められてしまうと思った。
日本国内で言えば、個人的な話をすると東日本大震災が起きた当時は地元の北海道の中でもかなり本州から離れた土地だったのもあって、東北だけでなく関東圏でも影響があるほどの災害だという事もつい最近認識したぐらい無頓着だった。
人種と居住環境とで大きく異なりはするけれど、無関心でいられる境遇であるからこその無自覚な邪悪さを持つスタンスを時間を経てから気づかされた。それをワシントンまでの距離が旅路の長さを表すだけでなく、戦地の中心から離れるほど戦争中とは思えない長閑な世界を見れることも表していたかもしれない。
こういった側面を筆頭に、物語的なカタルシスは与えられていないのにも関わらず、展開されている物語自体はしっかりと人間の無邪気さや情けなさといった負の面をじっくりと見せることに徹しているので惹かれてしまう。
報道というものに対するネガティブな発信が目立つ時代ではあるけれど、その中でもしっかりと現実を残し続けていく意味と厳しさを描いている。
アメリカ映画ではあるけれど、どこまで自分事として変換して見ていけるかで評価がすっぱりと分かれそう。
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