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「長尾七弁天」めぐり:長尾弁天、明石弁天(美人弁天)【日本弁天巡礼】

「弁財天」は、私にとっては強く興味をそそる対象である。日本の信仰対象として極めてポピュラーな神仏である弁財天は、日本人が古来培ってきた「編集力」を象徴する存在であるように思えるからだ。

元々、弁財天はインド神のサラスヴァティ(川の名前)が源流である。これが仏教の伝来とともに日本に渡り、神道の信仰対象である市杵島姫神(いちきしまひめのみこと)などの女性神と習合。江戸時代頃からは「七福神」の紅一点の女神として、日本の各地で祀られる対象となった。なお、市杵島姫神は日本神話で言う「宗像三女神」の一柱であり、またサラスヴァティと同じく水の神である。

時代を経て、サラスヴァティこと弁財天は、それを信じる民に対して、弁術、音楽をはじめとした芸事、財宝、水についての功徳をもたらす存在と認識されるようになった。今は、幅広く現世利益を求める庶民に熱心に信仰され、そしてこよなく愛されている女神である。

先に挙げたような弁術、芸事、財宝、そして生命のベースとなる水に関する
願いは、民衆にとってはささやかだが生活の基盤を支える重要なもの。出自が遠くの国・インドだろうが、日本国内だろうが、ご利益を提供してくれる神様を習合してまとめて信奉する(=編集する)ことで、しなやかに生き抜いてやろうという日本の民の心意気が感じられる。そうした先人たちのたくましさに、私は尊敬の気持ちを抱いている。

弁財天信仰は、まさに日本人の文化と民衆意識の象徴だろう。弁財天をまつっている神社・仏閣などを、筆者の独断と気持ちのおもむくままにリポートしながら、日本文化の有り様を探っていきたい。それがこの「日本弁天巡礼」シリーズである。

先日、私はたまたま縁あって栃木県足利市を訪問した。そして現地に足を運んで初めて、現地には興味深い弁財天信仰の軌跡があることを知った。それが「長尾七弁天」である。

足利市の長尾七弁天は、両崖山(251メートル)の周辺に位置する。この山は中世に山城があった場所だ。長尾七弁天と言われる弁財天を祀った七つの神社は、足利領主三代目の長尾景長が勧請し、この山城の結界として設けられたと伝えられている。

近年の郷土研究によって、足利市が防火用の延焼抑止のために山麓に設定した6本の防衛線(DL)が、「長尾氏が山城の周囲に配した七つの弁財天の位置に(たまたま)対応している」とも指摘された。つまり、中世のいわゆる結界の設定と、現代の合理性の観点による設定が一致していた格好だ。これはなかなか興味深い。

この日は通6丁目厳島神社(長尾弁天)と美人弁天を訪問した。メモがてら、写真とともに雑感を記しておく。

■通6丁目厳島神社(長尾弁天)

通6丁目厳島神社(長尾弁天)を入口側から望む


長尾弁天の案内板

■明石(あけし)弁天

明石弁天の本堂外観を撮影させていただいた。宗像三女神が御本尊である
明石弁天では「美人弁天」を祀っていることでも知られている。若干、観光誘客の香りがしなくもない。だが、これも弁財天信仰の形態の一つとして楽しむべきだろう。
明石弁天の敷地内に掲示されていた案内板

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