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夏。悩み、考えたことについて

はじめに。

これは自分の創作についての文章であるが、創作についての主張ではない。「クリエイターはかくあるべき」という強く外に表現されるものではなく、自分の心の中に湧いては消えていく思考をなんとか捉え、悩みの正体に向かい合い、文章というものに残すことでこの先しばらくは同じことに悩まされないようにしようという試みの趣旨で書かれるものだ。


だからこの文章は極めて個人的なものになる。超どうでも良い人もたくさんいると思う。というかほとんどの人にとってどうでも良いと思う。この先の未来のいつかの時点の僕にとってでさえ、どうでも良い、くだらないものになりうるかもしれない。だから、時間を使って読んで頂く必要はないかもれない。


では、なぜそんな個人的でくだらないものを公開するのかと言うと、もし、今どこかで、あるいはこの先のどこかで同じように迷い、悩む人が居るのだとしたら、その人が迷い悩んでいる場所から脱出するためのささやかなヒントくらいにはなるかもしれないと考えたからだ。僕の悩んだ時間が、なにか役に立つならそれは悩んだ甲斐があったように思えそうな気がした。だから、あえて公開をしてみることに踏み切ったのだ。
が、やはり自分の拙さとみっともなさにうんざりして、今後恥ずかしくなって非公開にするかもしれない。この手の弱さを見せることのメリットは、自分が仕事をする上ではきっとほとんどないのだろうと思うからだ。
そのあたり、あしからず。
ご了承の上、読み進めていただけると助かる所存である。

悩みというのは、概ね、この先何かを作っていくにあたり一体どのように向き合っていくべきなのか?という疑問に紐づく不安感、絶望感である。そしてそれは、きっとこのままではいけないという確信めいた予感から来るものであると思われた。

このことに気づいたのは、以前感じられたはずの創作に伴う楽しみがなくなっていると感じたからだ。ただ単に、そこで得られる楽しみに自分が慣れてしまっただけとも思えない。明らかに、何かがおかしくなっている。
その証拠に、机に向かってPCのディスプレイを見つめても、気が進まない。何も湧いてこない。それどころか、映画を観るのさえ億劫だ。集中力が続かない。

これまでは、わりと苦しい状況であっても作品を生み出すこと自体は好きであったはずなのに、なぜかそれさえも楽しいと感じられない時間が続いた。このままで良いのだろうかと思いながら、でも立ち止まるわけにもいかず、自分の中に湧き上がるその疑いと不安を無視した。
そうして無視し続けて、ある日、突然精神的に参ってしまったのだ。何もやる気が起きなくなった。凡才さを挽回しようと日常生活におけるあらゆることを削って創作に取り組んできた身からすると、創作に対してさえもやる気が起きないのはどうも存在する価値すら疑わしく思えてならなかった。まさか生きるのをやめようとまでは思わなかったが、「この先どうしていくのだ、どうしようもないかもしれない」という絶望感と、そんな自分に対しての失望感が自分を占拠した。

あまり認めたくはないが、要するに、創作に対しての意欲とかやる気的なものが自分に全く湧いてこないということのようだった。
僕の場合、作品を鑑賞する意欲は自身の創作に活かすためであることが多いので、おそらく根本的には同じ問題に思われた。
こんなことは、10年前に映像を作り始めてから初めての出来事であった。

これまで、創作の意欲の源あるいは創作の動機として機能していた考えは大きく2つある。
まずは、なにか作品や表現物を見たときに、「これなら自分にもできる」というものである。これは自分にとっては原始的な創作意欲の部分で、基本的に学生時代はこの気持だけで作っていたように思う。なにかに憧れる気持ちと、負けないぞと張り合おうとする気持ちは、瞬発的には強い推進力を持っていた。
次に、「作品から与えてもらった感動・感情を、自身の作品によって他の誰かに繋ぎたい」というものだ。自分が作品を観たり読んだりして、自分の悩みの正体がわかったり、人には言えないと思って隠していた感情を遠くの誰かと共有できたようでとても救われた気分になった。だから、自分も「こういうものを作ってみたい」と思ったし、それが大きな原動力になった。

主にこの2つを動機として、平凡な自分でもなにか、誰かにとっては価値があるようなものが作れるはずだと信じてやってきた。しかしながら、それらがうまく機能していないように思われた。その原因を自分で探ってみることにした。

まず、「これなら自分にもできる」という動機は、表現の世界で食っていく上ではそれほど長く効力が続かないのだろうなと考えた。対価として金銭を受け取る以上、何かを生み出すというその行為自体に価値があるのではなく、観た人が価値の感じるものを生み出すことが重要になり、それができなくてはいけないからだ。「なんとなくうまくやれる」みたいな、体育の授業でしか役に立たないような平凡な才能は使い物にならない。
「色々できるようになってきたね、さあじゃあ何を表現する?」と問われるステージに進んだときに、それが実際的にはほとんど役に立たないのだ。単なる模倣には、大きな価値を感じてもらいにくい。だからいつの間にかその動機の効力が失われていたのではないか。

次に、「こういうものを作ってみたい」という部分について考える。「自分が作品に与えてもらった感動や感情を繋ぐ」という自分でも恥ずかしくなるくらい仰々しくてもっともらしい動機である。この理想的な目標自体は、今あらためて問いかけても自分が心から願うことではあるし、これを信じて進むことが間違っているとは思わない。ただ、それが今は強い推進力を持っていないような気がした。
その理由について考えてみる。そうすると、それは、「どんな作品が作られるべきか」と思い巡らし、多くの人に楽しんでもらうことこそが(ひとまずは)一番大事なのであるという考えが、どうにもその動機にブレーキをかけている気がした。

上でも少し触れたが、やはり鑑賞の対価として金銭をいただく以上、観た人がそこに価値を感じるようなものを作るべきなのだと、最近は特に意識して作っていた。そしてこの考え方は突き詰めていくと、最悪自分が納得しなくても、人が喜べば良いというような考えにたどり着き得る。僕も、自分のやりたいことよりも、人が面白がることを優先しようとしていたのではないか。すると、だんだん、僕が作る意味そのものがなくなってくる。まさにその虚しさ、もどかしさがたまり続けたのが今なのではないか?という気がしてきた。
思い返してみると、この半年くらいは、そこに悩み続けた日々だったように思う。人々の求めるものはどういうものなんだと、そればかりを考えていた。もっとも、その、「観せるためのものを作っているのだから観られることを大前提にして制作に取り組むこと」は、僕はエンターテイメントを作る上では大事なことの一つだと思う。だが、僕は、まだそのエンターテイメントを作って生活していくという位置に居ない。望まれてもいないのに、世界に対して新しく作品を生み出すことに挑戦する、大きく成長するかもわからない雑草だ。そういう状況の人間が、ポピュリズムのみを突き進めていくと、単に自分の表現そのものに価値を見いだせなくなって、にっちもさっちもいかなくなる。自分自身から生み出されるものが、良いかどうかを自分で判断できなくなる。自分で良いと思っていないものでも楽しませることができるなら良いはずだということになってきてしまう。ギリギリ踏みとどまったとしても、動機の部分である「自分が作品に与えてもらった感動・感情」の中から、”多くの”人々にとって価値のあるものだけを選び、表現しなくてはいけなくなってしまう。当然であるが、そんなこと到底できるわけがなかった。

でも、好きなことを表現して多くの人に愛される作品を作る人(少なくとも一視聴者からはそう見える)だって居るじゃないか、とも思う。それをただ、”天才”と表現して、別次元の存在であるかのように扱いたくはなかった。だって観客にとっては映画は同じ2時間で、同じ1900円の価値だ。僕が作るものと”天才”的な人が作るものの価値を、僕自身がはじめから違うのだと思いながら作ることは観客を裏切り、騙すことになるし、何より”天才”的な人々の作るものだけで表現されない感情・物語はたくさんあるような気がした。
じゃあ、その好きなことを表現して多くの人に愛される作品を作る人たちと僕とで何が決定的に違うのであろうか、と考えてみる。もちろん能力的・技術的な部分で段違いであることは当然たくさんあるだろうが、ここで言う動機的な部分の範囲においての違いは、主に経験値であるように感じた。
それは仕事への慣れ的な意味合いではなく、言い換えてみれば、成功体験ということなのかもしれない。彼らはある程度の成功を収めていて、収めているから今の地位がある。そしてその場所で表現をする心持ちは、僕の心持ちとはやはり全く違うのではないか、と考えたのだ。
これは僕の尊敬するクリエイターが言っていたことなのだが、「自分はこれまでも自分の好きなものを表現してきたし、今まで作ってきた映画を愛してくれている人がいる。自分たちと観客との間に感性の通路のようなものが出来ている。だから、自分の良いと思うものを表現することができれば間違いなくそれを良いと思ってもらえるはずだと思い、特に迷うことなく表現に専念することが出来ている」という言葉が、その根拠に当たる。もちろん表でそう言っているだけかもしれないし、そうは言っても迷うことは当然あると思うが、でも、「きっと自分の感性を信じて表現を続ければ大丈夫なはずだ」という気持ちでやれているのは今の僕とは全く違うし、強いなと感じた。

僕には、その通路が無かったのだ。

これはもちろん、だから「ずるい」という話ではない。成功しているクリエイターは実力でその場所を勝ち取っている以上、自分を同列に並べるつもりも全くない。彼らは彼らできっと多くの葛藤を抱えているに違いない。
ここで言いたいのは、僕はその通路がないのに観客の良いと感じるものを言い当てようとしていた愚か者だったと気づいたということなのだ。自分の感性に客観的価値があるかどうかわからないのは、当たり前じゃないか。それを確かめるために作品として表現し、自分の可能性を試すんじゃないか。まだ作品を発表しないうちから、誰かを楽しませることだけを考えすぎていたのだ。自分の感性も信じずに。

なぜ自分の感性を信じなかったのだ。それを表現しなきゃ、僕が作る意味がないなんて、すぐに分かることじゃないか。と、自分に思う。
何が感性を信じることのブレーキになっているのか、自分に問うてみた。
卒業以来まるっきり連絡もしてない中高の同級生や、よく行くお店の店員さん、外すのが億劫だからフォローし続けてくれているだけなのではないかと思える人たちに、感じていることや考えていることを見られるのが恥ずかしいのだろうか。自分の本心を知られるのが嫌なのだろうか、知られることで嫌われるのが怖いのだろうか。いや、どうもそうではないような気がする。僕が本当にうつくしいと思うものや、愛しいと思うものを描写することは、なにも恥ずかしくない。描写するのは楽しいし、できた時は嬉しいし、そこに他者は介在しない。ほとんど自分のためだとさえ言える気がする。彼らの目線が気にならないほど、夢中になれる。
おそらく問題なのは、そういううつくしいと思う光景や、愛しいと思う瞬間、忘れたくないと思う感情や感覚が、自分の中にそれほど多くないと自分で感じていることなのだ。一生それを続けていられるほど、自分の中にそれらが沢山はないという自覚、もっと言うと劣等感があるからなのだ。これをするだけでは、一生食っていけはしないという感覚が、無意識のうちに脳内を占拠していたのだ。そして実際それはおそらく真理だ。職業として表現を行うなら、その少ない弾数では、戦場ではすぐに弾切れを起こす。それで戦地に乗り込むのはやはり無謀だろう。
だから、見様見真似で、食っていけそうな表現のテクニックを身に付けようとしていたのだ。流行りの表現を取り入れ、こういうものが世間にとって価値のあるものなのではないかという打算的な思考を出発点にして、表現を行おうとしていた。ただ、まさにこれが、僕にとって楽しくないことだったのだ。それを観られるのが、恥ずかしいことだと感じていたことに気づく。
僕は世間からの評価が欲しいわけでも、ただ作ること自体が好きなわけでも無かった。いいねなんて要らないから、評価なんてされなくてもいいから自分の抱いた感覚とか、秘めた思いとか、忘れられない出来事を、作品という形で表現するのが好きなのだ。その行為にのみ楽しさを感じ、悦びを覚えるのだと、ここに来てようやく気がついた。

だから、少なくとも今は、「こういうのがみんな好きかな?」と、お伺いを立てて作るのではなく、自分の感性を少しだけ殺して作るのではなく、自分が本当に好きなものを表現するべきなのだ。恥ずかしさとか、批判される恐怖なんてはねのけて、自分のためにまず作ってみたい。自分が感じる良さを、具現化することだけに妄想力を働かせたい。その妄想にブレーキをかけたくない。自分の好きなものに想いを馳せることをやめたくない。それで最終的に人を楽しませるものを作るなんてただの理想論かもしれない。利己的な動機すぎるかもしれない。だけど、そうじゃなきゃ自分が作るモチベーションが全然保てる予感がしないのだ。だから、自分のために、自分の感性をもう隠さない。嘘をつかない。正直に、自分が良いと感じるものを表現するべきなのだ。
本当に当たり前のことに、今更気づいた。

したがって、当面の創作の動機をあえて言葉にするなら「自分の中に湧き上がってきた簡単に言葉では表現できない感情、つい忘れてしまう感覚を残しておくため」ということになるかもしれない。それによって表現されたものを誰かが面白がってくれれば、誰かが同じようにこの感情や感覚を思い出せて良かったと思ってくれれば、これ以上ないほどに嬉しいと思う。そこでようやく、観客との感性の通路は開通する。

別に弾切れしたっていいじゃないか。描きたいものがなくなったって、表現で食っていけなくなったっていいじゃないか。僕は僕の楽しいように、僕の愛しいと思うものたちを作品として遺す、その行為がやりたいだけなのだ。それを続けていくために、今僕がやりたいことを損なってしまってはいけないのだ。弾が切れたら、ナイフで闘うさ。降参したっていい。ただ、今はこの弾を撃つことが、僕のやりたいことなのだ。

それこそが、自分の人生を生きることに思えるのだ。
そのことに、ひと夏かけて思い至ったのであった。

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