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雨の日、珈琲屋で

人々が、持てるものを惜しみなく使うことをある種の幸福の形と捉えているとするなら、平凡な僕の唯一持てる莫大な財産である時間を浪費することは、最上の贅沢なのであろうか。

何も大切なものなど落ちてないSNSを、まるで物乞いのようにうろついている。自己嫌悪や自己否定から逃がしてくれるエピソードを見つけては、その瞬間的忘却に消費されている。
いつもなにかを探している。なにかを見つけ、なにかに見つけられることを常に期待している。自分の存在を少しでも大きくしてくれるものを望んでいる。そうして得たものをかき集めて出来た言葉の着ぐるみを恥ずかしげもなく見せ合っている。雨が降れば溶けてしまうし、風が吹けば飛ばされてしまいそうな脆い鎧が脱げぬよう、プライドという接着剤で繋ぎ止めて、トンネルの中でウロウロとしている。そうまでして得た場所は、さぞ居心地の良いものだろう。
雨に降られた時、反射的に逃れてしまうし、風に吹かれた時、自然に隠れてしまうその自分の臆病さを、疑い続けることは無意味であるだろうか。

きっと本当はそこに居続けるべきではないと、気づいているのだろう。
今さっき手に入れたモノたちなど、さして重要ではないのだ。

唯一持てる財産の使い道を、常に問い続けなくてはならない。そう思わせられる雨が今日も降っている。

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