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ストックホルムの思い出話の続き~ Ideophone のこと

こんにちは。
Yamayoyamです。

小咄を披露するブログのはずなんですが、ここのところ思い出話が続いております。今回もちょっと思い出話&たまに思うこと、です。

思えば2012年にスウェーデンに渡ってから10年近く、主に英語を話す日常を送っています。

スウェーデンに渡ったのに、スウェーデン語じゃなくて「英語」とは、どういうことか?と思うでしょう。ええ、私もそう思いますし、スウェーデンでお世話になった方達もそう思っていることでしょう。

ストックホルム大学のバルト語学科所属ではあったのですが、指導教員の先生のお心遣いで、言語学科が主催していた「FoSpråk」という博士課程リサーチスクールの授業に参加させてもらっていました。「FoSpråk」には、世界中からこの極寒の地へやってきた学生達が参加していて、授業・レポートなどすべて英語だったのです。なので、スウェーデン語を少し習ったものの、結局ずるずると英語で生活していました。

そして2017年にスイスへやってきて、そこにドイツ語が加わりました。街の雰囲気がストックホルムほど「英会話カモ~ン!」という感じでもないし、義理家族の人たちの会話をもうちょっと理解したいし・・・。というわけで、最初の3年間ドイツ語学校に通ってわりと熱心にドイツ語を勉強しました。とはいうものの、家ではいまだに基本英語、外でも切羽詰まると英語にスイッチです。それに追い討ちをかけるのが、去年(2020年)の12月に検定試験を終えた途端、「ドイツ語もう疲れた。」と怠け始めたこと。だからあまり上達しません。

頼みの綱状態の英語なんですが、使用歴だけが無駄に長くて、いまだに困ることはたくさんあります。適当な言い回しが見つからなかったり、気持ちや様子をぴったり現す形容詞が見当たらなくて困った挙句、結局ざっくりした語を使うことはしょっちゅうです。その中でも特に困るのが、日本語だったら擬音語・擬態語を使うような場面。「きらきら」「ぴかぴか」あたりは glittery, shiny などなどでごまかすとして、猫の「モフモフ」したお腹とか、「トロトロ」のシチューとか、「ピカピカ」の一年生(「shiny」ではない!)とか、どうしよう、と一瞬(どころでなく)どもります。結局当たらずとも遠からずな「コレジャナイ」感のある形容詞を充てるわけですが、そういうときに、日本語の擬態語・擬音語って便利だよなあと思うのです。

そんななじみのある擬音語・擬態語に言語学的な理解を深める機会がストックホルムでありました。

2014年に、さきほどちょっと話に出てきた「FoSpråk」で言語類型論の授業を担当していた先生が Mark Dingemanse 氏を招いて、「ideophone」についての講演をしてもらったことがあります。講演題目の「ideophone」を見てもいまいち何のことかピンときてなかったのですが、講演で実例を見せてもらうと、「日本語の『サラサラ・ピカピカ』タイプの擬音語・擬態語のことじゃん!」とピンときたわけです。日本語の擬音語・擬態語に類する語は、言語学では ideophone(イディオフォン)と呼ばれていたのですね。これが私の ideophone との遅めの出会いでした。Ideophone のゲンブツには日本語話者として長いことお世話になってたんですが、言語類型論の文脈の中で意識したのは、このときが初めてでした。

印欧諸語には実は ideophone と呼べるものがあまりありません(寂)。ですが、日本語を含めてアジア、アフリカ大陸・アメリカ大陸で話されている言語(ただし、印欧系の英語とかフランス語とかスペイン語などなどは除く)でも豊富に見つかると聞いて、とても興味を持ったのを覚えています。自分の博士論文のテーマからは遠かったので、あまり関わることはなかったのですが、今でもあの時のことはよく覚えています。

さて、この ideophone、こんな(↓)特徴があります(校正ですけどDingemanse 先生のこちらの論文にまとめられています)。

  • 感覚的イメージを鮮明に伝える

  • 独特の音韻的な構造(例えば、「サラ」を二度繰り返して「サラサラ」の繰り返しなど)

  • 新しいメンバー随時受付中(「開いた類」)

  • 形容詞としても副詞としても使える

  • 「~いう」or「~する」と一緒に使える(「カタカタいう」「ツルツルする」)

なんか、「そうそう、日本語でもそうだよね!」と親近感が湧きませんか?

ところで、「記号としての言葉(signifiant)」と「言葉によって表わされているモノ(signifié)」の関係は恣意的である、とよく言語学では言われます。
例えば「🍎」を表す言葉は日本語では「りんご」ですけど、
なんでこの音(ringo)が「🍎」という意味になるのか誰も知りません。
日本語が話せるようになりたかったら、「🍎 ー りんご」の対応関係をとにかく覚えなくてはいけません(「🐱 ー ねこ」など、覚えなくてはいけない対応関係はたくさんありますけど)。
だから「🍎」が英語では「apple」だったり、リトアニア語では「obuolys」だったり、全く違う音を持つ単語だったりするのです。そして、Yamayoyam的にはこれが外国語の単語を覚えるのが辛い理由だと思います。「リトアニア語では「🍎」は「obuolys」である」みたいなルールをいくつもいくつも、「なんでそうなのか」という説明やヒント無しに、ひたすら覚えないといけない。脳の記憶容量との戦いになるわけです。

でも、ideophone は、ある種の「イメージ」を、(声帯模写とかじゃなくて)言語音でもって写し取る言葉といえます。「iconic」なわけですね。「カタカタ」は、例えば「(ちょっと旧式の)キーボードを打っているときに鳴る音」の特徴をとらえてそれを言語音で表現しているわけです。これを「ドンドン」というわけにはいかない。
Ideophone はこんなふうに、「記号としての言葉」と「それによって意味されるモノ」にちゃんとアイコニックな関係があって、それが言語体系の中にちゃんと組み込まれている例があることを示す面白い言葉なのです。

さきほど、ideophone は印欧諸語にはあまりないけど、アジア地域、アフリカ大陸・アメリカ大陸にたくさんあるよ、と書きました。
各言語で ideophone がどれくらい古いのかよく分かりませんが、少なくとも日本語の ideophone はかなり古そうです。例えば、ヒヨコの鳴き声の「ピヨピヨ」と「ヒヨコ」。「ピカピカ」と「ヒカル」や「ヒカリ」。Ideophone としての機能を保持した「ピヨピヨ」や「ピカピカ」は、今のハ行音がまだパ行で発音されていた頃(奈良時代)の音を保持してますが、そこから派生した「ヒヨコ」や「ヒカル」などではパ行音がハ行音に変化(ハ行点呼音)したように見えます。つまり、「ピヨピヨ」や「ピカピカ」などを構成する語基はハ行がまだパ行で発音されていた頃からあったわけです。※1

私が普段勉強している分野からは脱線しちゃうのですが、人間の祖先がまだアフリカ大陸に居たころに初めて話し始めた言語に、この ideophone って既にあったんだろうか?とたまに思ったりします。人類の祖先がユーラシア大陸に進出後、大陸の西側に落ち着いた集団では何らかの理由で ideophone が下火になったけれど、その他の地域では旺盛に発達したっていうことなのかな?などと夢想するのも楽しいものです。詳しいことがよく分からないので、想像だけが果てしなく広がっていくこの感じ、わりと好きです。言語学者としてはよろしくないんだろうけれど。こうして言語学者としてというより、日本語の一話者として興味をもつのも楽しいなぁと呑気に思っています。

以上、不良言語学者の Yamayoyam がお送りしました。
みなさん、ご機嫌よう。

※1 以前言語学関係の知り合いと雑談したときに「きっとそうだよね~」なんて言い合ってた内容で、ちゃんと調べてません。鵜呑みにしないでね~。

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