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君たちはどう生きるか〜解釈の余地の美学

 宮崎駿の新作映画「君たちはどう生きるか」を見てきました。見に行ってから一週間以上経って記す理由は、その後原作を読んだからです。あ、ご安心ください、ネタバレはほぼないはずですから。

 最終作とおっしゃってた「風立ちぬ」(2013年)に続く作品だったのと、タイトルからしてその延長かと推測してたんですが、個人的には「千と千尋の神隠し」(2001年)に近いものを感じる作品であり、多くの人が言っているように、集大成的な感じもあり、気持ち悪さとスリリングさと儚さを感じるまさに宮崎駿作品でした。(これぐらいにしときます)

 ジブリ作品はおおよそ見てきてこそいますが、自分はファンを自称するほどではないです。が、こうしてレビュー的なものを記しておこうと思ったのは、村上春樹と共通するものを感じたからです。二人に共通するのは、「世界で評価されている」ということと、イニシャルがH.M.ってぐらいですが(笑)、では何故世界で評価されているのか?

 あくまで俺の想像ですが、
「明確なオチはないこと」(資本主義的なものへのアンチ)
「時空をどんどん超えて行ったりする」(時間の概念はもっと自由であるべきだ)
「設定に地域性と時代性が出過ぎていない」(消費物にならない)

、、、結果、見るひと読む人がいろんな解釈をそこに見出す。時に語りたくなる。そう、まるで新しい「神話」を作ろうとしているのではないか?と。どんな時代になろうとも人間社会がある限り、人間社会には物語が必要だからね。肩書きから資格から収入から家族から人種からパートナーの有無から好みから、、、いろんな物語を自らに付与して、その物語をそれぞれが生きている訳だからね。

 そして宮崎駿も村上春樹も、「今の時代に必要な物語とは何か?」を考えて作っているように思う。それも最先端の設定を使う形ではなく、人々が忘れかけている人間社会のあり方の原石のようなものを見つめて作っているように思う。それが故、人種と時代を超えて愛されているのではないか?最先端の消費対象で終わらない、使い捨てされない理由はそこにあるのではないか?と。

 そんなことを思っていると、この映画の原作とされる吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」(原著は1937年)はまさに社会のあり方の原石を提示しているじゃないか。あの頃の「これから人間社会を生きていく中学生に向けて書かれた道徳」のような本。父を亡くした中学生主人公と、彼の面倒を見ている叔父との交換日記のような形をとって、「君はどのような大人になるべきか?」を説いているし。

 実際映画の中に象徴的にこの本は出てくるものの、直接的な物語のリンクはないんだが、、、、あぁそうか、宮崎駿はこの本を読み直しながらそのうち別な物語が膨らんできて、出来きちゃったのがこの映画だったのかもしれない。あの設定はこう変わってるけど、主人公が心悩む様は近いものがあるとも言えるし、、、と俺の中の妄想が始まる。

 きっと宮崎駿が伝えたい「人間社会のあり方、大人の在り方」がこの本の内容だったのかもしれない。そこを美しいアニメーションで複雑でインパクトのある映画に仕上げることで、明確な結論の提示を避けている、その、「解釈の余地」が素敵だなと改めて思う。


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