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立甲について考える

 最近、ネットでよくみかけるようになった「立甲【りっこう】」という身体用語。なにやらオリエンタルな響きが…。今回はこれについて掘り下げてみたいと思います。

▌立甲と言えば…

 立甲は文字通り「肩甲骨を立てる」(正確には、胸郭に対して肩甲骨が30°以上立つ)ことですが、私たちの年代でそれを真っ先に思い浮かべるのは、伝説のアクションスター、ブルース・リーでしょう。映画『ドラゴンへの道』でチャック・ノリスとの格闘前にみせた有名なウォームアップシーン。その中に立甲があるのです。まずはそれを御覧下さい。

 鍛え上げられた身体。誰もが憧れる肉体美ですね。それにしてもこの立甲。どういうメリットがあるのでしょうか?素朴な疑問として、肩甲骨周囲筋の機能不全である「翼状肩甲【よくじょうけんこう】」(翼状肩甲骨とも呼ぶ)とは何が違うのか?まずはその辺りからみていきたいと思います。


▌翼状肩甲とは?

 以下は、『理学療法ジャーナル(46巻7号)』からの引用です。

 翼状肩甲(winged scapula:winging of scapula)とは、肩甲骨の内側縁あるいは下角が胸郭から後方へ浮き上がった状態のことである。天使の翼や鳥の翼のように見えるためこのように呼ばれる。

 この状態は、前鋸筋など肩甲骨の運動に作用する筋群の筋力低下と関連していることが多い。前鋸筋あるいは長胸神経の障害では、120°以上の肩関節屈曲が困難となる。

引用:『理学療法ジャーナル(46巻7号)』
翼状肩甲
壁押しテスト:壁を両手で押すと翼状肩甲(左側)が顕著となる

 一見、立甲と翼状肩甲は同じような印象を受けますが、これを読むとわかるように、前鋸筋【ぜんきょきん】という筋肉(および前鋸筋を支配する長胸神経)が主に関与しており、この筋肉が問題なく機能しているか否か、という点が大きな分かれ道になるようです。

 そのため、前鋸筋が機能せず肩甲胸郭関節の安定性に欠ける人(特に女性や子供など)にとっては、立甲は逆に不安定性を高めてしまうことにもなりかねないので、注意が必要です。

 さらに、前鋸筋だけでなく、大・小菱形筋や僧帽筋、三角筋、ローテーターカフも関与しますので、それらの筋群を強化または再教育することが何より先決です。


▌猫との違い

 立甲に関する過去の記事を読ませて頂くと、よく猫科の動物であるチーターの写真を一緒に載せて、ほら肩甲骨が立っているでしょ!と書いておられる方がいらっしゃいますが、それはちょっと違うのではないでしょうか?

 そもそも人間とは骨格の構造が違いますし、彼らは四つ足動物で、元から肩甲骨は立っています(下図参照)。

猫の骨格

 ストレッチをする・しないの話で、チーターやライオンは獲物を追いかける前にストレッチなんかしないでしょ?と言うのと同じ類の理屈です。おっと、余計なことでしたね。

 チーターなどの四つ足動物と人間との違いについては、下記のサイトに詳しく掲載されていますので御参照下さい。

四つん這い立甲のデメリット・弊害」← click/tap

リンク元:大和神流 忍体”操術”


▌立甲のメリット

 先も述べた通り、あくまでも、肩甲骨周囲筋とローテーターカフが正しく機能しているという前提で、立甲のメリットについて考えます。肩甲骨は可動性だけでなく、固定性も重要だからです。肩甲骨固定時のローテーターカフの筋出力を各々チェックして、もし非固定時と比べてガクンと筋出力が落ちるなら、ローテーターカフの再教育と肩甲骨の固定性アップが先決となります。固定性は意外と盲点です(詳細は後述)。

 以下に立甲のメリットを挙げます。最大のメリットは肩甲骨と胸郭を分離できるということで、それによって下記の利点が考えられます。

 ● 体幹が安定する:胸郭の動きが肩甲骨によって制限されにくい
 ● 腰への負担が減る:胸郭が広がり、胸椎伸展の可動性が増す
 ● 股関節の機能が向上する:胸郭→横隔膜→大腰筋→股関節の連鎖
 ● 呼吸が深くなる:胸郭が広がることで吸気量が増え、腹腔内圧も上がる

 さらに、肩甲骨面が前方に広がることで、肩関節への負担も減ります。特に野球では、肩・肘の障害予防だけでなく、上体の開きを遅らせることが可能となるため、投げる・打つのパフォーマンス向上が期待できます。


▌肩甲骨固定性アップのトレーニング

 次に、肩甲骨の固定性を向上させるトレーニングについて触れておきます。ターゲットは前鋸筋と大・小菱形筋です。

前鋸筋と大・小菱形筋

1.前鋸筋のトレーニング

プロトラクション

 ① ベンチなどに仰臥位となり、軽めの鉄アレイ(1~3kg)を持って腕を真上に伸ばす(肩90°屈曲・肘伸展・前腕中間位)
 ② 肩甲骨ごと上肢を持ち上げ(肩甲骨外転)、3~5秒静止
 ③ ゆっくり①に戻し、20回繰り返す

プロトラクション・スイング

 ※ さらに②の状態から鉄アレイを小さくスイングさせてもよい(5回)

2.大・小菱形筋のトレーニング

ベントオーバー・テイクバック

 ① ベントオーバー(ヒップヒンジ)の体勢で、軽めの鉄アレイ(1~3kg)を左右で1個ずつ持って腕を下垂させる(骨盤後傾に注意)
 ② 肘を曲げながら、左右水平方向に鉄アレイを持ち上げる(肩甲骨内転)
 ③ ゆっくり①に戻し、20回繰り返す
 ※ 肩の外転角度を変えることで、大・小菱形筋をまんべんなくトレーニングすることができる(肩外転90°→小菱形筋・大菱形筋上部、60°→大菱形筋下部)

 なお、ローテーターカフについては、過去の記事を御参照下さい。

 それと余談ではありますが、まだ私が駆け出しだった頃の失敗談を一つ。

 これはある社会人野球チームで起きた症例です。高校卒のまだ20歳前後の投手(右のオーバースロー)だったと記憶していますが、春先から非常に調子が良く、先発投手の一角として期待されていた矢先、キャンプ中のブルペンで急に肩の後ろ側の痛みと脱力感を訴えました。すぐに病院でみて頂いたところ、「四辺形間隙(四角腔)症候群」というなんとも耳慣れない診断名でした。

 四辺形間隙とは、上腕骨・上腕三頭筋長頭・小円筋・大円筋に囲まれた小さな四角形の隙間で、ここを後上腕回旋動脈と腋下神経が通っています。どうやら、そこで拘束が起きたようなのです。

 その投手は肩甲骨周りがとても柔らかく、それまで肩の痛みは皆無だったため、さすがに驚きました。しかし、当時(今から約25年前)の私はまだまだ勉強不足で、なぜそのような障害が起きたのかもわからず、当然予防さえもできていなかったのです。

 障害のメカニズムをあれこれ考える中で、投球時の肘下がりが要因なのではないかと推論を立てました。そう言えば、その投手は何度か肘内側の張りを訴えていたことを思い出し、それが予兆だったのではないかと…。

 推論は以下の通り。

 投球時の肘下がり→肩外旋筋(棘下筋下部線維と小円筋)への負担増→四辺形間隙拘束(→肘内側への負担増)

 そして、なぜ肘下がりが起きたのかについては、肩甲骨の可動性にばかり目が行っていたのが最大の誤りで、固定性のことはまったく考えていなかったためです。つまり、

 前鋸筋未強化→肩甲骨上方回旋不全(筋力・スタミナ不足)→肘下がり

 という負の流れです。肩甲骨固定時におけるローテーターカフの筋力テストもおこない、ローテーターカフのトレーニングに加え、前鋸筋と大・小菱形筋の強化をリハビリプログラムに組み込みました。

 投球動作では投球腕のテイクバックパスを見直し、約2ヶ月後、競技復帰することができました。その後は再発もなかったため、立てた推論は間違っていなかったのではないかと考えています。四半世紀が過ぎた今でも、忘れることのできない失敗談です。


▌立甲はめざすべき目的ではない

 例に挙げた投手は、元々肩甲骨の可動性が大きかったため、もしかしたら立甲ができたのかもしれません。しかし、結果的にみれば、それはおそらく翼状肩甲と判断すべきものなのでしょうね。今となってはもう探りようもありませんけど。

 繰り返しますが、立甲は短絡的におこなうものではありません。すべての条件がそろった上での結果であって、めざすべき目的ではないと考えます。

 もし、どうしても立甲をやりたいのなら、最初に御紹介したブルース・リーの動画のように四つん這いでおこなうのではなく、立位でおこなうようにしましょう。もちろん、すべてを理解した上で、の話ですよ。

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