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醍醐寺国宝展&木下佳通代

毎日暑くて辛いですね。駅から遠い場所へ行く時には、いかに炎天下を歩かずに到着できるかルートを真剣に検討する私です。今日は大阪中之島美術館へ行きましたが、気候の良い時期ならば御堂筋線に乗り淀屋橋から川沿いの道を歩くところを、今日は梅田駅から西梅田まで地下街をウロウロと歩いて四つ橋線に乗り肥後橋で降りてフェスティバルタワーの地下から出て少しだけ歩きました。梅田からバスで行くのが良いのかもですけど、私はバスは乗り間違いが怖いので…。
さて、大阪中之島美術館では今2つの展覧会が開催されています。

4階展示室では「醍醐寺国宝展」、5階展示室では「没後30年 木下佳通代」です。まず4階で醍醐寺を見ました。

この「醍醐寺国宝展」を中之島でやると聞いた時に、中之島は近現代の美術をメインに扱う美術館ですし、なぜ仏教美術?と不思議に思いました。しかし、本来仏教美術などを扱っている大阪市立美術館は今長期休館中ですし、仏教美術を得意とする奈良国立博物館にいらした内藤栄さんが、大阪市立美術館の館長さんになっていらっしゃると聞いていましたのでその関係があるのかもしれない…などと様々に想像をしていました。

重要文化財 如意輪観音坐像
絵ハガキより

如意輪観音好きとしては見逃せない、優美でゴージャスな観音様もありがたく拝見しました。理源大師聖宝が笠取山の山頂に草庵を結び、准胝(じゅんてい)観音と如意輪観音をまつったのが醍醐寺の始まりと言われていて、当初の観音様ではないそうですが、それでも平安時代から大事にされてきた尊い観音様です。
快慶作の不動明王坐像も素晴らしかったですし、醍醐寺の寺宝は明治維新の際の廃仏毀釈の波にも耐え、ひとつの寺宝も流出させることなく守り抜いたということが本当にすごいと思いました。

初音ミクとのコラボ醍醐の桜AR

上の画像はフォトスポットとして設けられた初音ミクとのコラボ「醍醐の桜AR」での撮影画像です。会場に掲示されたQRコードをスマホで読み込むと、会場に置かれた(花も葉もない)桜の木にスマホのカメラを向けるとそこに満開の桜と舞い踊る初音ミクが出現するという趣向です。老いも若きもスマホを片手に楽しそうに撮影していました。こうした試みは面白く、なかなか攻めた展示だと思いました。
なぜ醍醐の桜なのかというと、太閤秀吉が当時荒廃していた醍醐寺を復興させるべくサポートし、豪華な「醍醐の花見」を主催したと言われており、美しい桜で知られているからです。
その桜を描いた醍醐寺に納められた近代、現代の美術の展示も最後のコーナーにありました。

桜花と杉樹 堂本印象筆
絵ハガキより

あの岸田劉生のお孫さんである岸田夏子氏の「醍醐寺の春」という大きな桜の絵画も素晴らしいものでした。
実はまだ醍醐寺へは行ったことがなく、西国三十三所の巡礼もコロナ禍で途中で放り出しているので、暑くない季節に納経帳を持って伺おうかなと思いました。

醍醐寺展のあとは、5階の「木下佳通代」を見ました。

木下佳通代は、70年代から90年代前半に活動したアーティストで、私が前に見たことがあるのはコンパスで円を描いている斜めから見た写真に、図形としての円を重ねた作品です。70年代は、そのような写真を使ったコンセプチュアルアート的なものが多かったようですが、その後80年代以降は抽象絵画へと軸足を移していきました。

'86-CA358

その抽象絵画の中で綺麗だなと思い、印象に残ったのが上の'86-CA358でした。無造作に描いたかのような筆のストロークが、樹木の枝や葉のようにも見えて面白いと思いました。

LA '92-CA713

初期の写真のコラージュだったり、写真と図形を組み合わせた作品群は、とても理屈が勝っているものだと感じたのに対して、油絵を中心とした抽象絵画では理屈というよりも筆によるストロークを楽しんでいるような印象を受けました。その変化がどこから来ていたのか分かりませんでしたが…。
90年にがんを告知され、手術を拒否してそれ以外の治療をするために海外へ行ったりされたそうですが94年に55歳で亡くなられたそうです。もっと長く生きていらしたら、抽象絵画からまたどこか別の領域へ行かれたかもしれない、などと思いを巡らせたりしました。

今日のジャイアントトらやん

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