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アップロードの前にダウンロードやろ


「アップデートできていない」


そうだよなあ半分、腑に落とし切れへんなあ半分のこの言葉を聞かない日はない。

現実として、確かに存在した「そういう過去」を苦々しそうに眺め、<皆が同じペースで新たな、しかもあまりに移ろいやすく不確実な今に適応できっこなんてない>という、1+1=2くらい単純明快な正解にはなぜか目もくれず、多くは個人への厳しい処罰によって「お前はアップデートできていない 」と力ずくで抑えこみ、まるで人間じゃないかのように踏みつけるのが最近の流行りのようだ。

それっぽい英語だかカタカナ語をドヤ顔で言うなと思う。とりあえず言うてれば、分かったような気になって気持ちがいいのだろう。今年75歳になる我が母や、その十個くらい年上のご近所、仲良しのO島さんに分からない言葉を平気で垂れ流すなと思う。目の前の人はさほど関係ないんだろう。大事なのは同調性や時代に取り残されないことなんだろう。

けれど抑えこみ、踏みつける人たちも内心では激しく怯え、恐れている。

私は時代に適応しているか? 
正しくアップデートできているか?   
いつか罰を受け、抑え込まれ踏みつけられるんじゃないか? 

いつまでも戦国時代の殺し合いや大量殺戮が正当化され続け、礼賛され続けるのはこの世に1万個くらいある七不思議のひとつだ。NHK、そういう番組めっちゃつくりがち。

もう数百年も前のことだから現実感に乏しく、ひとつひとつの暴力や死を直視する必要もなく、「そういう過去」を生きた英雄やご先祖様のお陰で「ありがたい今があるのよ?」なんて誤魔化しているからBPOにも引っ掛からないのだろう。

いかに世界や正義や常識がいい加減かを示す矛盾は大歓迎したいと思う一方、まだ記憶に新しい「そういう過去」に取り残され、踏みつけにされる現代人との差にはどうしたって理不尽さを感じざるを得ない。

アップロードできているか、できていないか。 白黒二択しかないならば、僕たちがそれぞれ不完全なままに、それでも互いに関係し合いながら生きてゆく意味は一体どこにあるのだろうか。

何もかもをを、まるでなかったことにしてのアップロードは違う。
アップロードの前に、まずはダウンロード忘れんなよ! と思う。

ダウンロードとは「そういう過去」や現在における誰かの振る舞いが間違っていると<感じられても>、自分自身もそうなったかもしれない/そうしてしまうかもしれないという自覚や想像力や謙虚さを持つこと、あるいは学ぶことだ。

これをなくしてしまえば人間終わり。対話もクソも成立し得ない、その時代に合わせた適当な正義を振りかざす、日和見的アップデート大魔神と化してしまう。

たとえば今「私は絶対に戦争に加担しない」と固く誓ったとしても、時流によってその決意は簡単に翻意したり、「これだけは例外なの!」と謎の除外規定に押しやってしまうのが人間というものだ。

SDGsは、コロナは一体どこにいった? それくらい人はクソ弱く、時流というものはクソ強い。

遠い過去に生きた彼らも未来に生きる彼らも、今に生きる僕やあなたも、人は失敗するように、そのようにちゃんとできている。そして何度でも、人として生き直すことができる。

恐れと相互監視による薄っぺらいアップデート以前に、この普遍的事実を共通認識としてダウンロードできたならば、どんなにか人は安心して生きていけるだろうか。

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