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虚無を生き生きと語る人

ある梅雨の日の昼休み。

いつものようにトランプをしていると、忘れていた宝物をふいに思い出したように目をキラキラさせて、ミサさんが言う。

「地下鉄・北山駅にな、自動販売機が3つあってん」

いや、まあ、よくあることだ。話の核心に触れるのに、彼女がとてつもない遠回りをすることは。 

けれどあまりにも掴みどころがないはじまりなので、これから何が語られるのか、いつも以上に集中して聴くことにする。

すると「ひとつ目はセブンティーンアイスでな」と、自動販売機の種類と設置場所をひたすら詳細に説明しはじめるミサさん。

こらえきれず、思わず口をはさんで尋ねる。えっと、地下鉄の駅にいくつ自動販売機があるか、なんか今、その、話題になってるのかな??


「んーん、別に」


そーやんな。そーやと思ってた。

でもちょっと怖くなってきたので聞かずにいられなかったのだ。

彼女の話にオチがないのはよくよく知っているが、ひょっとして、ひょっとして、もしやこれは……。

そうして2つ目、3つ目と自動販売機の種類と設置場所がバカ丁寧に語られ、遂にそのまま話が終わってしまったとき、僕は予感が的中したことを知る。

「何気ない日常にある小さな幸せ」を描いた本や映画に心打たれることはたまにあるが、彼女の話はそんなレベルではない。何気ない日常には違いないが、小さい幸せなどどこにも見当たらない、ただ地下鉄の駅に自動販売機が3つあったという話なのだ。

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つまり彼女が勢い込んではじめたその話にはオチはもちろん、意味も内容も何ひとつなかったのである。

ナッシング! 虚無! 虚無!

このゾゾゾ……と来る感じは恐怖というより畏怖の念に近い。

だってこんな地獄のように平板な虚無話を、ただ自分が目にした特に意味のない事実を、こんなに生き生きと話せる人を僕は他に知らない。

ていうか普通は話そうとも思わないだろう。

今日は道路をいろいろな色の車が走っていた。信号が赤になったら止まって、青になったらまた動き出していた。

家に帰るとまず玄関があった。だから玄関のドアを開けて、それから靴を脱いで上がった。その後で靴を揃えた。

こんなん、こんなん、目をキラキラ輝かせて話せますか??

虚無とキラキラ、実に素晴らしく矛盾している。いや、すごい。

人が誰かと話をするのにオチも意味も内容もなんも必要ないのだ。

つまりはただ楽しければ、それでオールOKなんである(いや、どうなんだろう?)。

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