人は光になるか
「ニューノーマル」は「もう過去には戻れないので、新しい暮らしを考えていきましょう」という「お触れ」みたいなもんだろうか。
否応でも変わってください、なんだが、こんなかたちで社会がルールチェンジしてくる経験なんて、ある意味なかなかできないかもしれない。(できなくて良いのだが)
なんてこともなく、この時期なにも考えないでぼーっとしてるのがいちばん、というか、気がつくとそうなっているが、実際不確かなことが多過ぎて、立ち止まらざるを得ないのかもしれない。
とはいえともかく、「接触率低めの社会」でこれからは無期限に回していきましょう、という宣言が「ニューノーマル」ということだろう。
技術的にはいろいろな可能性があって、リモートワークをはじめ、VR技術など急激に進化するのは間違いなくてそそるが、”低接触”の心身への影響が計り知れない。
我慢するのか、代替を考えるのか、どうなることか。
「人間は光になる」というSF的な発想が自分的にあって、光とはデータのことなんだが。
で、この空想には「自分は光になりたいか、肉でありたいか」という問いかけがセットでやってくる。
要するに、「肉体から解脱できるテクノロジーがあったとして、(光となって)肉体の束縛から離れたいか、あくまで肉体を持つ実存的な存在でありたいか、」という仮定の話だが本質的な問いかけ。
自分ではずっと答えられない問いかけだが、社会的には「ニューノーマル」によって、一つ”光”に舵を切ったんだと思う。
まったく致し方なくではあるけれども、そう選択できるテクノロジーも備えた人類は。
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