ON THE ROADの夜明け前にて。※ネタバレを含みます。

はじめに。

この記事は1996年生まれの、まだまだ若輩者である私があくまで1人のファンとして、ものかきである自分とは切り離したところで個人的な感想を綴ったものです。

1982年1月12日に行われた浜田省吾さんの武道館公演。
40年の時を経て、その時と全く同じセットリストで2022年1月7日に行われた彼のコンサートについて書かせていただきます。

「来られなかった方が沢山いらっしゃる中でこうした記録を残すのはどうなのだろう…」と物凄く悩みました。

そしてもしかすると「全くお前は何も理解していない!」「1982年に行われた武道館公演の感動を知らないくせに!」「小娘が偉そうに書くな!」という気持ちがところどころで生まれる方がいらっしゃるかもしれません。

そんな時はこのページをそっと閉じて、貴方の中にあるイメージをいちばん大切に、そして静かに抱きしめていただけたら有り難いです。

至らない点も多々あるとは思いますが、よろしくお願いいたします。


The Beatlesの『In My Life』を浜田さんがアコースティックギター1本でカバーした音源が、祈りに似た清らかさで会場全体に広がっていく。

今まで出逢ったひとたちのことを思い浮かべていた。

亡くなった大切なあの人が今日、最前列にいてくれるように。
いつか隣で同じコンサートを楽しみ、今はどこで何をしているかわからないあの人が今日を暖められるように。

公式サイトの情報によると、客席は8割埋まっているらしい。ここに集った方もそれぞれの人生や想いを両手に抱えて来たのだと思うとそれだけで胸がいっぱいになった。悲しいことも、やるせないことも、行き場のない怒りも乗り越えながらみんな、それぞれの暮らしを生き抜いて今日ここへ来たんだ。

そして来られなかった方のこともずっと頭から離れずにいた。

そこから『G線上のアリア』へと繋がる厳かなオープニングがあまりに夢のようで、信じていない天国を信じたくなった。
当日券を取るために更新ボタンを連打し続けた指の痛みだけがどうにか自分を繋ぎとめている。

そして小田原豊さんのドラムが、「今、新しく色を重ね始めるのだ」と言わんばかりに鳴り響いて、1曲目の『壁にむかって』が始まる。

公演前、公式YouTubeでMVが公開されていた。

当時の鋭さは残っているけれど、こんなに前向きにこの曲と向き合える日が来るだなんて思ってもみなかった。
そして『明日なき世代』へと繋がっていく。
もうこの時すでに感極まって涙が止まらなかった。

ずっと個人的に抱いていた、終わりが分からず息継ぎすらむずかしい痛みを分かち合うようなイメージに光が差し込んだように感じたのだ。

「ON THE ROAD 2022 Live at 武道館へようこそ!」

浜田さんの言葉からコンサートができる喜びをまっすぐに感じる。

声を出せないという制約がある中、観客である私たちは手拍子や拍手で応えるしかない。けれど彼は、「ずっと手拍子をしていると終わりの頃には手が壊れます。だからエア手拍子でいいです。でも俺たちが良い演奏をしてそれがもし貴方に届いたら、拍手をいただければ俺たちはそれだけで報われます」と気遣ってくださった。この言葉があたたかくて嬉しくて、手を痛めながら必死にメモに起こした。

「それぞれ思い思いに…腕を組んで聴くのも良し、立って踊るも良し、自由に楽しんでいただけたら幸いです」

この言葉でああ、わたしは浜田さんのライブにまた戻ってくることが出来たんだ!という実感がようやくわいた。
好きに楽しんで良いんだ。ルールとモラルに沿って誰かを傷つけたりしなければ、どんな受け取り方も間違いじゃないんだ。

そこから『青春のヴィジョン』、「uno、dos、tres、cuatro!」というスペイン語のカウントから『土曜の夜と日曜の朝』が演奏される。

今のメンバーになってから観たライブの中でいちばんバンドとして素敵だなあ…と強く思ったのがこの瞬間だった。
きっと彼らは本番前に円陣なんて組んだりしないし、お互いをファミリーだとか仲間だなんてわざわざ言ったりもしない。
それでも背中を預け、素晴らしい音楽を届けてくださる。それが全てだと思う。

新年の挨拶と今日のコンセプトの説明を兼ねたMCが挟まる。29歳と2週間で初めて武道館のステージに立ったのだという言葉の重みが伝わってきた。

『愛という名のもとに』と『モダンガール』からはそれぞれ形はちがうけれどどうしようもなく切なくて、でも離れられないし離れたくない恋の影が見える。

「コロナ禍で数人にしか会わなかったのにいきなり数千人の前で歌っているって不思議な感じ!」と浜田さんが微笑んだ。
前日の雪の話、80年代当時にだんだんライブの衣装がシンプルになっていった話。

そして当時ツアーへ行くためにどれほどの荷物を持っていたかを再現してくれた。
数週間分の衣装を詰めたバッグとギターケース、カセットウォークマン…かなりの大荷物で駅まで15分ほど歩いて小田急線に乗っていたのだとおっしゃっていた。これはもうすでに本番前の移動でクタクタになっていたことだろう。

そんな当時を懐かしむMCの後だから油断していた。

この次の曲は『君の微笑』だった…!

人って突然泣く時涙が飛び出すんですね。頬を伝うことなくビョッ!!!と涙が飛び出た。
好きだという気持ちだけではどうしようもないことに主人公の青年は気付き始めてしまうのだ。そんなやるせなさを40年経ってもう一度呼び起こすかのように、それでいてその当時の自分を抱きしめるかのような演奏だった。

次の『悲しみは雪のように』では、こんなに客観的にこの曲を受け取れたのは産まれて初めてかもしれないなあと思いながら聴いていた。
子どもの頃からクラクラとめまいがするほど何度も聴きすぎて、この曲が持つほんとうの素晴らしさを見失ってしまっていたかもしれない。

わたしが抱きしめている幻想は、今にも壊れてしまいそうだからこそ人目も憚らず泣くことが出来た。
ずっと孤独でい続けよう、この痛みをずっと持ち続けていようと改めて決意した。

この曲について「昨日は演出が最高だったんだよ」と浜田さん。たしかに外では物凄く悲しみが降り積もっていた。
コンサート会場がまだ半分しか埋まっていない中でイベント会社である夢番地の善木社長(当時)に武道館公演とステージの演出を提案されたこと、そしてその演出が「崖を作ってその真ん中にドライアイスの滝が落ちてくる中で浜田くんが『君が人生の時…』を歌うんだよ!」というものだったこと。

「滝に打たれる崖っぷちシンガー浜田省吾…」と浜田さんは思ったらしい。

でもその演出を見てみたかった気もする。
「そうした様子を想像してみてください」とアルバム『Sand Castle』のアレンジで『いつわりの日々』が前半の最後に演奏された。

もう関係を修復することが不可能になってしまったふたり。
辛いときも寄り添ってきたのに、どうしてこうなってしまったのか理由を探してみてわからなくなってしまったふたり。
テーブルの上で美味しい瞬間を通り過ぎて冷めていった料理の温度と、記憶の中で脆く崩れ去っていったラブソングの歌詞のことを思った。

確かな安らぎと自由をふたりは手にすることが出来ただろうか。問うのは野暮だとわかっていても、そうせざるを得ないほど苦しい歌だ。

善木さんへの感謝の言葉と「俺たちはすぐ戻ってきます」といういつもの台詞で前半が終わり、15分休憩が始まった。すでにマスクは絞れそうなほど涙で濡れていたので、人のいないところまで行って新しいものと取り替えた。

ステージのモニターにはまだ若い浜田さんの写真が次々と流れている。

ON THE ROAD前夜ともいえるときの写真。

まだ被写体として撮られ慣れていない、あどけなさを残した青年がそこにいた。
こんなに細い身体で、明日も立っていられるかわからないほどの孤独と光と影に捻じ曲げられそうになりながらここまで来たのだと思うと喉の奥が熱くなった。

後半1曲目の『路地裏の少年』は真空パックされたそんな当時をふと取り出して眺めているようだった。

この日はアリーナ席の様子がよく見える席にいたのだが、『ラストショー』でのワイパーを近すぎず遠すぎるわけでもない絶妙な距離から見られるのは武道館ならではだと思う。
なんだかあのワイパーが、観客の皆さんが各々持っている「もう終わってしまったけれど、あの日のどうしても忘れられない恋」に手を振りながら懐かしんでいるように見えてくるのだ。とてもいとおしくなった。

カローラに乗り、岡山であったご友人の結婚式の帰りに作った1曲。「月日はあっと言う間に過ぎた」という言葉が、切ない恋の記憶を思い出に変えてくれる。

そして世界や日本、アジアの構造が変わってしまったこと、当時正しいとされたことが今正しいとは限らないこと。
当時いてくれたお父様やお母様、ご友人や仕事仲間がもうここにはいないこと。気持ちも変わっていき、失うものも得るものもある、と。

でも歌はタイムカプセルのように存在していることを話し、『片想い』へ。

もうわたしはゴミ箱に捨ててしまったからそれを漁るようなことはしないけれど、淡く心の片隅にあるいつかのそれに少しだけ触れたような気がする。

『陽のあたる場所』ではその日でいちばん泣いた。

あくまで個人的な意見で、これが歌の不思議なところなのだが、大人になってからこの曲の歌詞を読むと「もしお付き合いしている人と別れる時、こんなことを言われたらちょっとムカっときてしまうかもしれない」と思うようになった。

ファンの方に叱られてしまうかもしれないが、「率直にごめんねとありがとうを言って欲しい」とひねくれ者のわたしは考えていたのだ。

でも歌で聴くと「頼むからそんなことを言わないでくれ!!別れられなくなるじゃないか!!」と涙が溢れて止まらなくなる。

歌というのはほんとうに不思議だ。

竹内宏美さんと中嶋ユキノさんの繊細なコーラス。衣装のことにも触れるとデニムスタイルが本当に新鮮でありながら、しっかりと芯の強さも合わせ持っている彼女たちにピッタリだと思った。ラブソングを歌う中で視覚的にもさらに説得力が増した気がする。
ただのファンとして勝手なことを言うけれど、おふたりのセットアップでのコーディネートを見てみたいとぼんやり思った。

そしてシンセサイザーのあの音がものすごく好き。ギターソロと一緒に涙をぐいぐいと引き出してくる。

「日本武道館でのステージが今日で5回目なんです」と武道館が自分にとって聖なる場所であること、ビートルズの初来日の想い出を話した後、ギターで少しだけ『初恋』を歌ってくださった。
「やってることに疑問を感じたりもしたけれど音楽が好きで、少年が初恋の女の子にずっと死ぬまで恋をしているようだ」という一言が印象的だった。

『終わりなき疾走』、『独立記念日』、『反抗期』と少年に訪れた思春期のもどかしさが色濃く感じられる楽曲が続く。

ここには浜田さんの初恋が香り、焼きついたままなんだ。

そう思っていると一瞬で空気が変わった。『東京』だ。この曲が発表された当時と今の東京は怖いほどに変わらない。それどころかもっとひどくなっているかもしれない。熱気に包まれた会場にいるのに、この時だけ寒気が止まらなかった。

そして本編ラストの『愛の世代の前に』。楽曲が鋭く心を突き刺し、その痛みに揺さぶられながら、ファイヤーボールの演出が心拍数を上げていく。
最後、花火の中で深々と頭を下げた浜田さんに手がちぎれて吹っ飛んでも良いという気持ちで拍手をした。

半ば放心状態でアンコールを待ち、『あばずれセブンティーン』で自分が17歳だった頃を思い出していた。
いやー、この曲みたいに頭が空っぽだったな、と思ってマスクの下でククク、と笑いを堪える。

贅沢にミュージシャンの演奏を楽しめる作品なので大好きな楽曲のひとつだ。

『HIGH SCHOOL ROCK & ROLL』は「お母ぁ」が「Oh、ママ」に変わっていて「金と権力が無けりゃ どうにもならねぇ」という10代に一度は抱えたことのあるかもしれない、0か100かの極端な悩みが更に際立っていたように思えた。

ひとりひとりへのリスペクトを込めて浜田さんがメンバー紹介をする。

皆さんが本当に全員元気でここに立ってくれてよかった。これからもこのメンバーで素晴らしいステージを観たいと声に出したい気持ちを我慢しながらとにかく拍手をした。

『Midnight Blue Train』は今のわたしが感想を書くことがいちばん難しい曲だ。現在進行形でこんなところにいると自分で思っているからどう表現したら良いかわからない。申し訳ない。わたしはものかき失格だ。
でも本当にわからないんだ。

走り続けることだけが 生きることだと 迷わずに … 迷わずに …

わたしが持つ苦しみなんてそんな高級なものではないのだけれども、いつかこの気持ちが懐かしく思える日が来るのだろうか。

「次に会える時は一緒に歌えると良いね」という言葉とともに『ラストダンス』のイントロが鳴る。

ミラーボールの光が、それに照らされる観客の皆さまの潤んだ瞳が、今夜二度とない「もう一度」を永遠にしていった。

ステージを去るひとりひとりを見送り客電が点いたとき、真っ先に感じたことが、「『浜田省吾』というタイトルの作品を何ひとつ理解していなかった」ということだった。

このセットリストを振り返ってみると沢山の胸が詰まるような曲で構成されている。『家路』や『J.BOY』で人々の背中を押すON THE ROAD 前夜、その夜明け前の空はどれだけ暗かったのだろうかと考えながら立ち上がった。

わたしは評論家にはなれない。
きっとこれからも未熟なものかきのまま暮らしていく。

でも果てのない孤独をもう一度ちゃんと手に持ち直して進んでいきたいと思えるひとときだった。

そして振り返らないで歩き出した。
わたしの初恋もまた、これからもずっと続いていくからだ。

*****

追記

記事をご覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。

あたたかいコメントを多くいただき、投稿して良かったと心の底から思えました。

そして、この記事をきっかけに有料マガジン『無粋なドルチェ』を楽しんでくださっている方にも感謝の気持ちでいっぱいです。

皆さまからのやさしさに触れて色々な想いが生まれました。長年浜田さんを応援していて、このような若輩者にも分け隔てなく接してくださる方へ私が持てる限りの最大限の敬意を。そしてもしも今日浜田さんの音楽に触れ、好きになった方がいらっしゃったら応援する場をあたためられるような心を持つことのできるファンで居たいと改めて強く感じたのです。そしてひとりひとりの「好き」の形を出来る限り尊重していきたいとも。

そう在れるよう、これからも精進して参ります。

今まで客観的な視点で捉えることが難しいという理由で、浜田さんの作品に関しての記事を書くことは避けていました。

ですが、好きという気持ちに嘘をつかなかったからこそ今の自分がいたことを思い出すことができました。

様々なご意見があることは重々承知の上ですが、これからはもっと自由に肩の力を抜いてそうした気持ちを書いて行けたらと考えています。ただの自分語りになってしまうかもしれないし未熟ではありますが、一生懸命向き合って言葉にしていきたいです。よろしくお願いいたします。


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