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去りし夏は梅の香

去年は東京から離れた病院で入院していたので、今年は東京の自宅でちゃんと過ごすはじめての夏になる。

夏のイベントが軒並み中止になっているけれど、わたしにとってはひとつひとつが一大イベントだ。

水の蛇口を捻ってお湯が出ることにいちいち感動している。

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先日、3年ぶりに短編小説を書いた。

https://monogatary.com/story/77199

構想自体はあったのだがなかなか形に纏めることに苦労した。
あるチャットレディのひと夏の話だ。ここまで来ることを待っていてくださった皆様に心からの愛と感謝を。1万字以内ですぐに読めるので是非。

そうしてこの小説を発表して数日後、大切な人が亡くなった。
涙が出てきても悲しみがついてこない。ぼうっとしているとそれがいきなり一気になだれ込んで来そうなのでなるべく何かしら頭や身体を動かし、心が痛まないようにしている。

薄情だと思うかもしれないが、突然のことで混乱している。自分のペースで彼女をしのばせてほしいというのが今の正直な気持ちだ。

ふと昨年に想いを馳せる。

持病の双極性障害とパニック障害がピークで悪化している時期で、わたしの行動や言動が全くよくわからなかったと思う。その証拠に沢山の人が離れていった。

けれどわたしも同じくらい彼らの話していることを理解できずにいた。

精神科に入院しようと思っても病院にまで匙を投げられ、新しい病院を探そうと考えてもその通りに動けない。

そんな他人にも自分にも嫌気がさした頃、彼女が手を差し伸べてくれた。
自分も闘病でつらいはずなのに根気よく話を聞いて、病院を一緒に探してくれたのだ。

それから病院が決まって入院中、そして退院してからもひとがなかなか信用できずにいたし、意味もわからず生きるのがつらかったけれどそんな中彼女が「先の楽しみがあるっていいでしょう」と自分で育てた梅の実を分けてくれたことが支えとなっていた。

その粋なはからいに泣きながら梅仕事をしたのを思い出す。退院してからも自分が空っぽにならずにいられたのはその梅で作った梅シロップがちょうど飲み頃になっていたからだ。

ほかにも沢山思い出すことも、やりとりを見返して思い出したいこともあるのだけれども立ち直るのに時間がかかりそうなのでなるべくゆっくり辿って行けたらと思う。

今年は梅仕事を一切しなかった。

スーパーで買ってやればよかったんだけれども、なんとなくそういう気持ちになれなかった。しかしその空白がもたらすものは決して「0」ではなくて、そこからは確かに彼女が丹精込めて育てたあの梅の香りがした。

ひとつも弱音を吐かなかった彼女の凛とした姿勢を忘れられずにいる。

これからも忘れないから、たぶんこれはさよならではないんだと思う。

彼女が新しい旅へと出た日、空には二重の虹がかかっていた。それは絶対に彼女のためのものだとわたしは思うのだ。

「虹のご加護を」

またね。たくさんありがとう。大好きだよ。

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