見出し画像

日記 月夜のモンタージュ

ここのところ、決まった夢ばかりをみてねむっている。

むかし観たコンピューターグラフィックスのように風が吹き膨らむ教室のカーテンのある窓際の席にいる。その対角線上で頬杖をついて完璧に、それでいて曖昧な表情を浮かべるいつかの恋焦がれたひと。
ほんとうに曖昧で覚えきれないから夢のなかにいることを自覚できる。
教室は限られたスペースのはずなのに、果てしなくそのひとまでの距離は遠い。

けれどそれに何度胸を掻き毟られようとも、そこから卒業できない。毎晩毎晩同じ教室や校舎の中を彷徨い歩いている。学校行事もテストもリアルに体感しているのにいつまで経ってもさよならが言えないのだ。


******


オンライン飲み会やオンラインライブ、それに舞台まで。今のぼくらは家にいながらどこへだって行ける。

そんな呑気なことを言ってしまうと 皆さまにお叱りを受けてしまうかもしれないが、誤解を恐れずに書くと実際躁鬱とパニック障害を持った人間からするととてもありがたいことでもある。

ライブハウスや劇場には行きたいけれど具合が悪くならないかどうか、自分がもし倒れて係員の方や演者の皆さんに迷惑をかけたり嫌な思いをさせてしまったらどうしよう、ああそれと服と化粧をちゃんとして、持ち物はチケットと常備薬と冷たい水と袋と…あと対策に何が必要だ!?という不安が押し寄せて参加をためらってしまう。初めての現場なら尚更。もし無事に観終わったとしても身体と心にはとてつもない負担がかかり、青ざめた顔をして衣服をゆるめただらしない格好になり千鳥足でよろよろと家路を辿ることになるのだ。

オンラインの参加だとそれをすべてカットできる。楽な格好でいいし、具合が悪くなったらブラウザを閉じればいいし、最悪横になったって誰もわからないのだ。(演者の皆さまに対して非常に失礼な行為ではあるが)勿論生で観ることの素晴らしさも重々承知しているのだけれども、それがとてつもなく大きな壁となっているわたしにとってはとても有難いシステムが出来たと感謝するばかりである。もしも新型コロナウイルスが落ち着き、日常を取り戻せたとしてもどうかそんな「座席」を作ってくれたら嬉しいと願う最近だ。おかげで今までライブに参加したことがなかったアーティストのパフォーマンスを楽しむことができている。


*****

話が逸れた。

先日仲井戸”CHABO”麗市さんのオンラインライブで名曲『ティーンエイジャー』を聴いていて、自分のいちばん好きなフレーズを噛み締めていたときだった。


“学校は卒業したけれど
ハッピーバースデイは重ねているけど
何を卒業したんだ.....”


ああそうか、わたしは何も卒業できていないんだ。改めて納得した。

学校なんてテストの全科目で毎回30点以上を取ってぼやーっと3年間を消費すれば自動的に卒業証書という紙が貰える。

制服を脱いで髪を染めてみたり、化粧を覚えてみたり、お酒やタバコの味よりも苦いことを経て身体は無邪気に歳を取るけれど中身の何が変わったかと言われると言葉に詰まる。

実際わたしは病気療養によりほとんどベッドで横になっている時間がもう2年も続いているから余計にそうなのだと思う。たまに外に出て新宿の人波に流されてみたり、渋谷のど真ん中に立ってもあの頃のように心が動かないのだ。曇りガラスに五感を包まれたような感覚に陥っている。

だから、こそ。まだ病気になる前、脳がはっきりしていた頃に基づいたメビウスの輪みたいな夢がずっと続くのかも知れない。

*****

昨夜夢のなかで会ったそのひとはゴミでも見るかのような目でぼくを見たあとにほほえんだ。

懐かしさとあたらしさがちぐはぐにマーブル模様を描きながら今日も同じ場所で夢を見る。卒業できるのはいつになるのだろう。こんなに繰り返しているのだから情もわいてしまった。ちゃんとさよならを言いたいな。

けれど恋焦がれたはずのそのひとの名前すら知らない。ただ頬杖をついた横顔が綺麗だという、そのことしか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?